言葉の力を信じる人たちへ

言葉は人を癒やすことも傷つけることもできる。
ほんとうに大切なのは言葉ではないのかもしれない。
それでも言葉の力を信じるすべての人へ。

女きょうだいは健やかである。『思いわずらうことなく愉しく生きよ』江國香織

姉妹

女は入り組んでいる。 というのは、あまりに乱暴な分け方だろうか。 男の描写はたやすい。 彼らは「私はこういう人です」というプラカードを下げながら歩いてくれる。 だから彼らは愛おしく、女たちは安心するのだ。 それに比べて、女はより複雑だ。 決してそれが優れているとか劣っているとか言うわけではなく、ただ女たちは、分裂していて、自分の中に高層ビル並のフロアを有している。 彼女たちをラベリングしていく作業 […]

底抜けにクールな男『オンブレ』村上春樹

オンブレ

西部劇は見ないし、男くさいハードボイルドものは苦手だ。 だから、『オンブレ』を手に取ったのも、「村上春樹が翻訳した作品だしな。読んでおかないとな。しょうがないな」という感じだった。(ものすごく失礼ですね、申し訳ございません) 幼少期を「アッパチ」と呼ばれるインディアンのような種族に育てられた伝説の男、オンブレ。 オンブレとは、スペイン語で「男」という意味だ。 まさに男の中の男、オンブレ。 本名はジ […]

現実的でない愛は現実の世界に殺されるのだ『女のいない男たち』村上春樹

女のいない男たち

ふと、想像してみる。 ひとときも離れていたくない、身体の組織まで分け合いたい、なにもかもわかっていたい、 そんなふうに感じる相手がいることを。 その関係は、自立した二人がお互いを高め合う理想的な関係でもなければ、 依存し合った二人が互いの首を締めていく関係でもない。 文字どおりの、「一心同体」の存在を。 わたしという人間は独立した生命として完結しているのに、果たしてそこにさらなる関係性を追加するこ […]

人生で一番深い場所にいるとき『海辺のカフカ』村上春樹

海辺のカフカ

58歳のおじさんから見て。 35歳のサラリーマンから見て。 28歳のわたしから見て。 そしておそらくは20歳の成人を迎えたばかりの学生から見ても。 15歳という年齢は、青く未熟で若い。 彼らはまだまだ子どもの領域を出ず、純粋で階層のない、シンプルな世界に暮らしているのだと我々は想像する。 そしてそのような前提のもとで『海辺のカフカ』を読むと、この物語にはうまく入り込めない。   「15歳の男の子が […]

(エピローグ)一通の手紙と最高の復讐【長編小説】『少女が大人になるその時』

少女が大人になるその時

▼概要・目次はこちらをご覧ください▼ 【長編小説】『少女が大人になるその時』概要・目次  それからちょうど二週間後、橙子のもとに一冊の本が届いた。ぐしゃぐしゃになった茶封筒に、丁寧にテープで糊付けされているのが不釣り合いな包みだった。差出人の名前はなく、本は古本だった。題名は『Living Well is the Best Revenge 優雅な生活が最高の復讐である』。題名を見た瞬間、橙子はぎく […]

(エピローグ)嬉しさに打ち震える黒い血液【長編小説】『少女が大人になるその時』

少女が大人になるその時

▼概要・目次はこちらをご覧ください▼ 【長編小説】『少女が大人になるその時』概要・目次  秋の始まりは、橙子にとっていつも特別だった。凜花がいなくなってから三年と八ヶ月が経過した。お盆休みが明けると、朝夕に心地よい風が吹きはじめるようになる。からだは秋の到来を真っ先に察知し、途端に昼の暑さへの適応力を失くしてしまう。昼間にはまだまだ夏の太陽が残り、じりじりと地球の表面を焼き続けているというのに。そ […]

(B5-6)随分遠いところまできてしまった【長編小説】『少女が大人になるその時』

少女が大人になるその時

▼概要・目次はこちらをご覧ください▼ 【長編小説】『少女が大人になるその時』概要・目次  孝太郎が食事を終えるまで洗濯ものを畳んだり、テレビを見たりしながら待つのが日課だった。テレビというのはすごい、と橙子は思っていた。座って見ているだけで、実に多くの情報を見る者に与えてくれる。橙子は毎日のこの習慣のおかげで、世間の人よりも随分と物知りになったような気がしていた。とは言っても、橙子が家事をこなすあ […]

(B5-5)もうひとつの世界【長編小説】『少女が大人になるその時』

少女が大人になるその時

▼概要・目次はこちらをご覧ください▼ 【長編小説】『少女が大人になるその時』概要・目次  気が付くと、橙子はまた台所に戻っていた。誰が生けたのだろう、食卓の上に花が飾ってある。薄い紫色の花が一本だけ。百合子ならもっと派手で豪華に生けるはずだ。それに、紫は椿の嫌いな色ではなかったか。  かちゃ。何かのネジが外れるような、プラスチックでできたティーカップのぶつかるような、小人の通る扉が開くような、そん […]

(B5-4)その目はなにも見てはいなかった【長編小説】『少女が大人になるその時』

少女が大人になるその時

▼概要・目次はこちらをご覧ください▼ 【長編小説】『少女が大人になるその時』概要・目次  部屋の中が急に静かになる。家族みんなで座ると狭苦しい食卓も、一人では持て余してしまう。こつ、こつ、こつ。いつもは気にならない時計の音がやけに大きく響いていた。春の冷たい雨が家の屋根、壁を打ち付けては流れていく。こんなにも水の勢いは激しいのに、橙子の心の中に留まったままの石油のような黒いどろどろは一向に流れ行く […]

(B5-3)息子との対話その2【長編小説】『少女が大人になるその時』

少女が大人になるその時

▼概要・目次はこちらをご覧ください▼ 【長編小説】『少女が大人になるその時』概要・目次  「母さんさ」剛志が空になった皿の上にかちん、と軽く音を鳴らして箸を載せた。  「母さん、俺が小学校の時にいじめられてたの、気づいてた?」まるでたばこでも勧めるかのように、さらりと剛志が言った。  「剛志が? いじめられていた? 小学校の時に?」橙子は、息子による本日二度目の突然のカミングアウトに、ただ言葉を繰 […]

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