言葉の力を信じる人たちへ

言葉は人を癒やすことも傷つけることもできる。
ほんとうに大切なのは言葉ではないのかもしれない。
それでも言葉の力を信じるすべての人へ。

(A4-6)娘が肩代わりしてくれた傷【長編小説】『少女が大人になるその時』

少女が大人になるその時

▼概要・目次はこちらをご覧ください▼ 【長編小説】『少女が大人になるその時』概要・目次  それから橙子は、夜には毎日家に帰って凜花の好物を用意して待っていた。近ごろは凜花が夜もあまり家にいないということに、橙子はその時になってやっと気づいたのだった。家の空気は重かった。椿は表面的には凜花にひどく優しく接した。けれど、それが凜花への恐れのようなものであることも、実際はご近所での評判をやたらと気にして […]

(A4-5)娘のためを思って【長編小説】『少女が大人になるその時』

少女が大人になるその時

▼概要・目次はこちらをご覧ください▼ 【長編小説】『少女が大人になるその時』概要・目次  凜花は、家であまり話さなくなっていった。事情を聞いても、「学校の勉強が難しくて」だとか、「おじいちゃんのこと思い出しちゃって」などと言うばかりだった。初めの方はそんな調子だったが、その言葉はだんだんと「あたし、お母さんみたいな母親だけには絶対にならない」「家より仕事が大事なんでしょう。話しかけないで」という言 […]

(A4-4)味方がひとり、死んでしまった【長編小説】『少女が大人になるその時』

少女が大人になるその時

▼概要・目次はこちらをご覧ください▼ 【長編小説】『少女が大人になるその時』概要・目次  周人の死は突然だった。足が悪く家にこもりがちな椿とは違って、周人は年齢に不似合いなほど元気な老人だった。毎日肉をたっぷり食べ、土地を貸している会社を訪問して回り、夕方には近所の大きな寺までジョギングを欠かさなかった。地域の自治会を牛耳り、長と名のつくものはなんでもやっていた。酒をよく飲み、たいていのことは笑っ […]

(A4-3)夫がわかってくれない【長編小説】『少女が大人になるその時』

少女が大人になるその時

▼概要・目次はこちらをご覧ください▼ 【長編小説】『少女が大人になるその時』概要・目次  それから二度目の猛暑がやってきた。太陽は年を追うごとにますますその威力を増し、乾いた大地にはバーゲンセールのように次々と台風が押し寄せた。地元の中学校の評判を嫌った凜花は小学五年生の二月から塾に通い始め、自宅から電車で三十分ほどの中高一貫校への進学を希望していた。九石家には、にわかに金銭的必要性が生じた。周人 […]

(A4-2)企業家の妻としての先輩【長編小説】『少女が大人になるその時』

少女が大人になるその時

▼概要・目次はこちらをご覧ください▼ 【長編小説】『少女が大人になるその時』概要・目次  「起業、ね」橙子が未だにやり取りを続ける数少ない学生時代の友人である室田は、少しだけ笑って言った。  「ある意味ですごく橙子らしい選択だとは思う。まさかそっちに振れるとは思わなかったけどね」  かちゃり、とコーヒーのカップをソーサーに戻す彼女のあごが一瞬だけ二重になる。恋人たちを乗せたボートが生みだすさざ波の […]

(A4-1)大人になって失う自由【長編小説】『少女が大人になるその時』

少女が大人になるその時

▼概要・目次はこちらをご覧ください▼ 【長編小説】『少女が大人になるその時』概要・目次  また、桜が散った。  ぼんやりと頭が考えるのをよそに、橙子の両目は、自転車で近所のスーパーに行くまでの道のりにある一本の桜の木を捉えていた。一リットルの牛乳と、野菜と鶏肉が入ったビニールの袋が手に食い込んでいる。  「顔がさすから近所であんまりぼーっと座ったりしないでね」と椿に言われ、こんなときしかひとりでゆ […]

(B3-5)それは個人の傾向と時期の問題だ【長編小説】『少女が大人になるその時』

少女が大人になるその時

▼概要・目次はこちらをご覧ください▼ 【長編小説】『少女が大人になるその時』概要・目次  「リン、あ、九石凜花ちゃんのお母さん、ですよね?」  知り合いなど誰もいないと油断していた頭の上から突然声をかけられ、びくりとする。見ると、見覚えがあるようなないような女性の顔があった。  「そう、です、が」予期せぬ展開に、頭が少しだけクリアになる。人間の本能とは、実によくできている。  「覚えておられないで […]

(B3-4)それはときどき私を襲う【長編小説】『少女が大人になるその時』

少女が大人になるその時

▼概要・目次はこちらをご覧ください▼ 【長編小説】『少女が大人になるその時』概要・目次  料理は驚くべきスピードで運ばれてきた。ほとんど全ての料理が運ばれてきた時、橙子はまだ最初のきゅうりを食べ終えていなかった。  「お待た、せいたしました。なる、『鳴門鯛たっぷりの釜飯』は三十分ほどお時間をいただきます。そ、それ以外のご注文は、すべてお揃いですか?」滑舌の悪い慣れない様子の男の子が、やっとのことで […]

(B3-3)午後の延長線から線路が切り替わる瞬間【長編小説】『少女が大人になるその時』

少女が大人になるその時

▼概要・目次はこちらをご覧ください▼ 【長編小説】『少女が大人になるその時』概要・目次  孤独ではないところで一人になりたい、と橙子は感じた。事務所はあまりにも静かで、今の橙子にはあまりにも寂しい。金曜日まであと一日を残した木曜日の夕刻。橙子の経験に基づく体感によると、人々は翌日の解放感をフルに味わうために、木曜日には余分に仕事をする傾向がある。車内には就職活動中のぎこちない着こなしを除いてはまだ […]

(B3-2)使いみちのない人間、自覚のない奴隷制度【長編小説】『少女が大人になるその時』

少女が大人になるその時

▼概要・目次はこちらをご覧ください▼ 【長編小説】『少女が大人になるその時』概要・目次  もう、帰ろう。西日で作業ができないということを言い訳に、橙子はいつもより早くコンピュータを閉じる。ちゃららん、というシャットダウン時の効果音は、橙子を主婦モードに切り替えるスイッチとして有効に作用していた。けれど、今日はどういうわけかそのスイッチがうまく入らなかった。事務所のブラインドを下ろし、電気を消し、ポ […]

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