言葉の力を信じる人たちへ

言葉は人を癒やすことも傷つけることもできる。
ほんとうに大切なのは言葉ではないのかもしれない。
それでも言葉の力を信じるすべての人へ。

目的もメッセージもない、極めて強い文学『浴室』ジャン=フィリップ・トゥーサン

浴室

わたしたちの多くは、家という場所を持って暮らしている。 人間の暮らしのバリエーションに合わせて、居住空間も様々な顔を持つ。 居間や台所、寝室、物置。 あるいは作業部屋、子供部屋。 そしてもちろん、浴室がある。 ジャン=フィリップ・トゥーサンは、午後を浴室で過ごし始めた男の話を書いた。 ここには確かに、斬新さがある。 中には狂気を感じる人さえいるかもしれない。 第1部:パリ 40の()からなる文のか […]

これが人間が幸福になれない理由である『存在の耐えられない軽さ』ミラン・クンデラ

プラハの春

ミラン・クンデラという作家にはじめて出会った。 彼は、1929年に今は解体されたチェコスロヴァキアで生まれた作家で、1960年代の後半に起こった「プラハの春」をきっかけに全著作が発禁になり、 フランスへ移住して執筆活動を続け、現在も存命である。 彼のような境遇の作家を知るにつけ、作家や画家、音楽家などの芸術家は、自分の内面の表現という以上に歴史の目撃者、そして記録者としての役割を担っていたことが改 […]

嘘をつくこと『風の歌を聴け』村上春樹

風の歌を聴け

自分のことを正直な人間だという人を、わたしは信用しない。 嘘をつきながらでしか生き抜けない場所が、この社会にはある。 嘘をつくことと、正直さには正の相関はあるのだろうか? たとえば、2人の男がいるとする。 彼らはある女と同じ職場で働いている。 女 「ねえ、怒らないから正直に言って。職場の皆は私のことをデブでブスで付き合いが悪いって言っているわけ?」 男1 「そうだね、皆そう言っている。それは変えよ […]

人間としての最初の記憶『芝生の復讐』リチャード・ブローティガン

芝生の復讐

人間としての最初の記憶を覚えているだろうか。 わたしにとって幼い頃の記憶というものは時系列がめちゃくちゃになっていて、どれが最初かわからなくなっている。 幼稚園の先生が結婚(だったと思う)退職をするときに、ぐちゃぐちゃに泣いたこと。 幼稚園の教室の隅に、きらきらと銀色に光る物が落ちていて、それを必死で集めたこと。 阪神大震災のときにいとこ家族が家にやってきたこと。 どれも夢の話のようで、本当に自分 […]

完璧な愛と完璧なわがまま『ノルウェイの森』村上春樹

ノルウェイの森

「希望」だとか、 将来、正論、正義、夢、まっとうな人生だとか、 恒例行事、人間関係、栄養バランスの摂れた食事、純粋な男女の付き合いだとか。 にっこり微笑んで、「ありがとうございます!」と言うことだとか。 そういった類のことから、うんと距離をとりたくなることがある。 なにもかも壊してしまいたい衝動と、そうするだけのエネルギーが自分の中にないことに気がついたときの、やるせなさ。 そんなときに読みたくな […]

海外に移住するかしないかを決めてしまう前に『遠い太鼓』村上春樹

ぶどう畑

わたしは「海外で暮らしたい」という思いが強くある。 理由はさまざまだけれど、 「日本は窮屈だ」と感じる瞬間が、ほんとうに多い。 もちろん、ただの現実逃避的な思考かもしれない。 海外でうまくやっていくことなんて、できないかもしれない。 行ったら行ったで、失望のほうが多いかもしれない。 けれど、引きこもり傾向にあるわたしと今でもやり取りのある二人の友人はどちらもヨーロッパの人だし、 彼女たちは口を揃え […]

くそったれ同窓会『世界のすべての七月』ティム・オブライエン

同窓会

過去の方向を向きながら生きる人たちのことを、わたしは理解することができない。 彼らは、常に過去の中に生きているか、 あるいは時折見える過去の明かりを頼りに生きるのだ。 今の自分は、あの頃よりも幸せか? 年を重ねるにつれて、その答えは「No」に近づいていく。 たぶんそれは、60歳を超えたあたりからまた「Yes」に舵を切り直すのだろう。 学生時代の自由を失い、 結婚して子供を産めば時間とお金を失い、 […]

女きょうだいは健やかである。『思いわずらうことなく愉しく生きよ』江國香織

姉妹

女は入り組んでいる。 というのは、あまりに乱暴な分け方だろうか。 男の描写はたやすい。 彼らは「私はこういう人です」というプラカードを下げながら歩いてくれる。 だから彼らは愛おしく、女たちは安心するのだ。 それに比べて、女はより複雑だ。 決してそれが優れているとか劣っているとか言うわけではなく、ただ女たちは、分裂していて、自分の中に高層ビル並のフロアを有している。 彼女たちをラベリングしていく作業 […]

底抜けにクールな男『オンブレ』村上春樹

オンブレ

西部劇は見ないし、男くさいハードボイルドものは苦手だ。 だから、『オンブレ』を手に取ったのも、「村上春樹が翻訳した作品だしな。読んでおかないとな。しょうがないな」という感じだった。(ものすごく失礼ですね、申し訳ございません) 幼少期を「アッパチ」と呼ばれるインディアンのような種族に育てられた伝説の男、オンブレ。 オンブレとは、スペイン語で「男」という意味だ。 まさに男の中の男、オンブレ。 本名はジ […]

現実的でない愛は現実の世界に殺されるのだ『女のいない男たち』村上春樹

女のいない男たち

ふと、想像してみる。 ひとときも離れていたくない、身体の組織まで分け合いたい、なにもかもわかっていたい、 そんなふうに感じる相手がいることを。 その関係は、自立した二人がお互いを高め合う理想的な関係でもなければ、 依存し合った二人が互いの首を締めていく関係でもない。 文字どおりの、「一心同体」の存在を。 わたしという人間は独立した生命として完結しているのに、果たしてそこにさらなる関係性を追加するこ […]

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