トラウマを克服するとかしないとかの話。

ご無沙汰です。

怒涛の二週間連続『残業祭り』が終わり、ほっと一息。
疲れているはずなのに、なぜか6時前に目覚めてしまった楓です。

セミが元気ですねぇ

さて、今日は「トラウマ」のお話。

わたしは、結構トラウマを作りやすいタイプである。
というのも、「自分の努力の範囲内で選択することで、どこにいてもある程度優等生でいる」というスタンスを貫いて来てしまったせいであると思う。
「褒められる」ことが嬉しいがために頑張る快感を覚えると、「失敗」を極端に恐れるのだ。
「褒められるため」が自分を縛っていくことになる。
そういうわけで、誰よりも特別になりたい欲望は持ちつつも、「普通にできなかった」ことはわたしにとって大きなトラウマになる。

例えば。
スウェーデンでの留学。
ここでわたしは大きく体調を崩し、ホームシックにもなり、精神的にかなりきつい目に遭った。

自分で定めた目標は、勉強も語学も人間関係も、何もかも完璧にしたかったがゆえに、息が切れた。
加えて、身を切るような寒さ。わたしは寒がりなのだ。
それにわたしは、孤独だった。
近くにいる友人の優しさにすら気づかない時期もあった。
それでも、支えてくれる友人の存在はありがたかった。
あの人たちがいなかったら、今わたしは生きていなかったかもしれない。

留学から帰った後、周囲に心配され、「楽しかった?」の一言に素直にうん、と言えない自分は失敗作なんだと思った。

「リュウガク」「スウェーデン」これらの言葉に敏感に反応するようになってしまった。

そして、肉嫌い。
これも留学関連だが、留学先でわたしは食べ物にあたってしまった。
家系的に、いささか胃腸に問題があることを忘れていた。
まずは牛肉に始まり、肉全般。
チーズ、濃い乳製品、脂っこい料理。
これらがアウト。ひどい下痢を引き起こし、胃がキリキリと痛んだ。
野菜の農薬もあったかもしれない。
小さいころはひどいアトピー持ちで、母は食べ物にもかなり気を揉んでいたらしい。

それが、再発した。
だんだんと、食べ物を口にすることに対して慎重になっていった。
結果、万年ダイエッターなほど食べることが大好きだったわたしは、極度の偏食持ちになった。

これらのトラウマを放置し、目を背けることだってあるいはできただろう。
けれど、負けず嫌いのわたしはそれが許せない。笑

まず、スウェーデンにもう一度行くことに決めた。
いやいやではなく、行きたかったから。
これが去年の夏。
ずっと憧れていたゴットランド島(魔女の宅急便の舞台になったところ!)や、ストックホルム、そして留学先であったヨーテボリを訪れた。
フィンランドやリトアニアの友人宅も訪れることができた。
結果的に、わたしの持っていた北欧へのイメージは、ずっと良くなった。
夏という気候も幸いした。
そして、5週間という短期間なら、食べ物にもさほど苦労はしなかった。少し痩せたけれど。笑
何より、とてもとても楽しい旅行になった。
詳しくは、秋あたりに旅行記を公開していきますのでよかったらそちらで。(遅くなってすみません)

もうひとつの偏食のほうは、まだまだ道半ばだ。
これでもずいぶんとマシになったほうだと思う。
健康的な体に戻り(体力はないけれど)、食べることも楽しくなった。
これは、家族の理解や支えがあったおかげだと思う。
まぁ、完全に克服できなくても、いいやと今は思っている。
食べることが楽しければ、そして、健康を維持できているのであれば、何も添加物にあふれたこの世の食べ物全てを食べられるようになれなくたって、逆に健康的かもしれない。
少々不便ではあるけれども。笑

こんな様子で、わたしは「努力ではどうにもならないこと」や、「合う合わないの問題」を経験していった。

そこで巻き起こった今回の問題。
詳しくは下記の記事をご覧ください。
適応障害は、君が悪いんじゃない。きっと。
人生っていうのは全く。
適応障害?抑うつ?内向型?自分を伝えるということ。
頑張りたい気持ちをセーブしながら暮らすということ。
仕事復帰して、一週間。

こんな経緯でなんとか仕事に戻って、一ヶ月。

復帰して三週間後の7/21から、二週間連続の残業イベントがあった。
あの悪夢のイベント。
前回わたしが死んだ、あの残業。
これはわたしの中で、完全なトラウマになっていた。

けれど、今回はなんとなくいけそうな気がしていた。
この自分の「いけそう」をあてにしてはいけない、自分は自分が思うよりも疲れやすいのだ、ということも含めてわかっていたから、今回は休み休みやらせてもらった。

一週目の金曜日は午後からの出勤にしてもらったし、二週目イベントの中日(水曜日)は一日休ませてもらった。

そうして、昨日無事に二週間を乗り切ることができた。
これはわたしの力というより、上司の計らいや、家族の理解があったからこそだと思う。
「この職場でよかった」
改めてそう思った。
残業続きでも、安心感を感じながら働くことができた。
「この人たちはわかってくれる。仲間だ」
そう思えば、肉体的なキツさはあれど、精神的な疲れは残りにくかった。
残業後の飲み会も、行かなくていいんだと思えるようになったし、上司もそこは察してくれた。

この二週間で、わたしはひとつのトラウマを克服したと思っている。
もちろん、一度死んだことで自分へのハードルも下がったし、周りのわたしへの接し方も変わった。
ここがポイントだと思う。

一度潰れると、ゼロになるのだ。
そこからまた立ち上がるのには相当な労力がいるが、同じことをしていても全く違った見え方になる。
これは、トラウマを抱えて、それを克服することのある意味で「利点」のようなものかもしれない。

あの時の自分はこう考えていて、周りもこんなふうで、だからトラウマになった。
今回の自分はこう考えていて、周りもそれを知っていて、そしたらこんなふうに良くなった。

もし、潰れることもなくそのままスムースに進んでいれば(まぁそれに越したことはないかもしれないけれど)、こういった視点は持てなかったろう。
潰れる人の気持ちも理解できなかったろう。

大げさかもしれないけれど、弱いことで、世界を深く感じられた気がする。
それをこうして文章に紡いでいくことで、また自分の中で整理できる。
同じ思いをする人に少しでも届けば、心に明かりを灯すことができれば、これほど嬉しいことはない。

トラウマを抱えることは、あんがい悪いことではない。
それを克服するもしないももちろん自由だし、別に克服しなくたって楽しく生きていける場合も多い。
もう二度とスウェーデンに行かなくたって。
肉やチーズや油ものを食べなくたって。

大切なのは、前向きな気持ちで「気が向いたし、やってみようかな」くらいのノリでできそうなら、トラウマに向き合ってみるのもアリだということだ。
そこに、「克服しなければ」という義務感が生じると、キツくなる。
もし克服に成功したのなら、あなたは「トラウマを抱える気持ち」と「それを乗り越え、新たな視点で取り組める気持ち」の2つの世界を手に入れる。

それって、もしかして結構「オトク」なんじゃないか?
長々と書いてしまったけれど、「できる範囲で」今の自分を受け入れてみて、今の自分に満足が行かないなら「できる範囲で」努力してみて、自暴自棄にならずに小さなしあわせを噛み締めて、ちょっとずつでも自分を好きになっていくこと。

これが、わたしのような「自己否定型完璧主義者」にはいいんじゃないかと思いました。

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