HUBで飲んでる女の子[言葉の切れ端040]

「それはありえない」俺は目を細めてその女を見る。
「何なら私の鞄調べてもらってもいいけど」女は文庫本から顔を上げない。
「またまたぁ。こんな時間に、HUBで一人で、飲んでるよーな、キミみたいな、女の子は、スマホを持っていない、なんて、ありえないの」
俺は文節を一つずつ区切って話す。ビールを立て続けに三杯も飲んだせいで、うまく言葉が出てこない。
「スマホは体に毒だから」彼女はようやく俺の目を見て、冷たく、しかし誠実にそう言った。
瞬間、俺はどうしようもない羞恥心に襲われた。まるで、彼女は人間で、俺は肉塊であることを知らされたような。
「化粧、してないの」
関係ない、と幼いすっぴん顔の彼女に言われる準備をしていると、彼女が文庫本を置いた。『アメリカの』から始まっていたが、魚へんの漢字が読めない。釣りに関する本らしい。
「特に必要を感じないだけ。労力に対して得られるものが少なすぎる。馴れてしまえばどうってことないわ」
「そうか」
「満足?」彼女はそこで、はじめて口角を上げた。
彼女とはそれきりだ。
書いた人
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ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。
文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。
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著者:田中千尋
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