既存勢力を選択しない人々[言葉の切れ端065]

「人類が揃って幸福になることはあり得ない。そんなことは、人類という生命体を全く理解していない統計学者の理想論だ」
立花さんは、物ごとを核心からではなく外堀から話すタイプの人だ。

「もちろん、それを目指すことは素晴らしいことだ。でもそれは実現しない夢なのだ。なぜだかわかるか?」

「多様性、ですね。我々を強い生命体にし、我々を決して平和へと導かない性質」
僕は二秒ほど考えたあとで、注意深く答える。三年前の立花さんの演説からの引用だ。

「正しい。けれど」立花さんはエビの天ぷらを口に入れて、上からビールを流し込む。この人ははじめから終わりまでビールしか飲まないのだ。僕は間を埋めるために相槌を打ち、ビールを口に含むふりをする。

「さらに真理に近い言い方をするなら、一人ひとりの内側にある多様性だ。わからなさそうな顔をしているな。人はその時の状況や気分で考え方が変わる。それは、人が決して満足を持続させられないことを意味する。さらには、人は募らせた不満を解消するために、既存の何かを壊したいという欲が生まれる。わかりやすいのが、俺たちだ。悪政は打倒され、善政は退屈な日常に成り下がる。ここまで言えばわかるな?」

「次の選挙、必ず私たちが勝つ。良し悪しではなく、既存勢力を選択しない人々の獲得によって」

「一言余計だ」立花さんは愉快そうに笑った。

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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