血のつながりは呪いなんかじゃなくて [言葉の切れ端076]

「あの人との血のつながりは呪いよ」涼子は小さく目をつむっていた。額には汗がにじんでいる。
「私はどこまで遠くに行っても、結局あの人が寄越した遺伝子から逃れることができない。ねえ私、この子を堕ろそうかと思うわ。ユウに気づかれないうちに」
「ねえ涼子」あたしは目の前の妹に、そしてたぶんお腹の赤ちゃんにも話しかける。
「涼子は大丈夫だよ。母さんのようにはならないよ。それに母さんも、あたしたちのことを愛していたはずだよ。やり方はまずかったかもしれないけどさ」
「こわいのよ。この子を産んでしまったら、もう後戻りできなくなる」妹はふるえている。
彼女を守ってあげられたらな、と私は思う。でもあたしたちは、ずっと一緒に生きていくわけにもいかないのだ。
「涼子、こっちを見て」妹は茶色い瞳をこちらへ向ける。
「血のつながりは最大のアイラブユーなの。呪いなんかじゃない。あたしたちはきょうだいで、それは世界でいちばん強い絆なんだ。その子が生まれたら、涼子は必ずその子を愛して、その子は必ず涼子を愛する。そしてその瞬間から、涼子とユウくんも血のつながりで結ばれる。ちっともこわくなんかないわ。愛されなさい、存分に」
涼子は笑っていた。この子の屈託のない笑顔には、みんながやられてしまう。
「あんこちゃんもいつか結婚するでしょう、山下さんと」
「あの人はだめ。結婚向きじゃないから」
それに奥さんと子どもがいるから。あたしは心で付け加える。杏子というあたしの名を、妹と同じように「あんこちゃん」と呼んだというだけの理由で、あたしは山下を必要としたのだ。
妹が帰ったあとで、あたしは一人で泣く。
妬みでも羨みでも寂しさでもない。
妹が幸せに暮らしていることがうれしくて、ありがたくて泣くのだ。
書いた人
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ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。
文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。
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