物語の理解者は消えた[言葉の切れ端081]

「もうヒトには小説なんていらないんだよ」僕はやりきれなくなって妻にこぼす。

「物語は絶対になくならない。自分の才能がないのを、ヒトのせいにしないで」

妻はスーツのまま、買ってきたキャベツを冷蔵庫にしまいながら言う。

「でもさ、Amazonの売り上げランキングを見てみなよ。自分らしく生きる21の方法、みるみる痩せる3つの習慣、あるいは誰かの持論発表会。私はこう思います、だってAならばBで、BならばCで、AならばCだから。これだけしっかりわかりやすい模範解答ばかり並べられちゃ、読む方も考えるのをやめちゃうな。だって楽なんだもの」

僕は妻から買い物袋を受け取り、夕食の仕上げに取り掛かる。

「本って大きなくくりで見るからいけないのよ」妻はその場でスーツを脱ぎはじめる。彼女の体は十年前からちっとも変わらない。
「そういうたぐいの本に、想像力はお呼びでないのよ。あるのはケーススタディだけ。そもそも同じ土台で比べるべきものじゃないのに、読み物ってだけで本屋に隣り合わせで置かれるでしょう。取り扱い説明書と物語は別々に売られるべきよね。その鶏肉、すごく美味しそう」

「もう、わかりやすいものしか売れないのかもしれない。物語は理解者を失いつつあるよ」

「それが何だって言うの」妻は髪を束ね、僕が取り込んだばかりのTシャツに着替えている。

「書く人間がいなくならない限り、理解者がひとりもいなくなるなんてことはありえないのよ。物語はビジネスと袂を分かった。それだけ。お金が必要なら、またしばらくのあいだエンジニアでもやればいいじゃない。四六時中資本主義経済の相手をする必要はない。そう思わない?」

僕は妻の方を見る。

このヒトは僕に優しい。このヒトがいなくなったら、僕はもう物語を書けなくなってしまうだろう。

ブログ運営者

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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