人が好き≠人に会いたい

人が好き。

でもそれって、いつも人に会っていたいだとか、人に囲まれていたいということなんだろうか。

私は人が好き。というか、人のために何かをして役に立っていることが生き甲斐なのだけれど、
ものすごく引きこもり体質で、自分の頭の中との対話を続けるタイプです。

人のために料理をするし、
人のために仕事をするし、
人のために身なりを整える。

世界中で誰も私に関心をよせなくなったら。

きっとわたしは生きてはいけない。

人が存在していても、生きてはいけない。

それなのに、こんなにも人が好きで、人を必要として人に必要とされたいのに、私は人がこわい。

人と長く話していると、うまく会話を続けることができなくなる。

ちょっと前までは嫌われるのが怖くて、顔色ばかり伺っていたからなのだけれど、今はちょっとばかし様子が違う。

人と話すと、膨大な量の情報が頭に入り込んでくる。

その人の話、過去、今、思い。
仕草、表情、声のトーン、そして周りの雑音までもが、処理されるべき情報として頭に流れ込んでくる。それも、活字の状態で流れ込んでくるものだから、私はそれを急いで読み続けなくてはならなくなる。
咀嚼して飲み込んでしまう前に、次の情報が流れてくる。
私は理解し、思考することを諦め、場の処理に集中する。

そこにお得意の妄想モードに突入してしまうと、もう相手の話は耳に入ってこなくなる。これは一種の防衛本能だと思う。
直接会っていなくても、電話やメールでしっかりと相手の思考や背景が入り込んでくるから、随分なエネルギーを使う。

昼間は学校に通い、登下校の電車と夜はいつも携帯を見ながら友達と連絡を取り合う女子高生を、私は心底尊敬する。

だから私は、長くても2時間くらいしか連続して誰かと一緒にいることはできないし、日常の様々な出来事を上手く整理整頓し、製本し、頭の本棚に順番に並べていく時間というのが必要になる。
それは、私にとって樽の中でワインを熟成させるみたいな感じなのだ。樽にぶどうを突っ込み続けていても、いいワインはできない。

そういうわけで、私の日常は一人の時間で構成される割合が、案外多い。
随分と矛盾しているように聞こえるし、私もそう思う。

でも、そうしないと、人に対して随分疎かな対応をすることになってしまう。

Facebookなんかをしていると、人を消費しているみたいな気持ちになってくる。
スマホからFacebookのアプリを削除しただけで、幾分時間はゆっくり流れるようになった。

人を大切にしたいから、人に会わない。

そういう生き方を誰か肯定してくれるだろうか。

実は、人が好きというのは、人を通して見る自分が好きということなのかもしれないな。

自分が好き、大好き。
だからこわい。

所詮はそんなエゴイズムの生み出す、氷山の一角なのかもしれない。

そういう話になるとまたややこしくなってくるので、今日はこのへんで。

久しぶりに梅雨らしい雨模様に、庭の植物は喜んでいました。

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ことば、文字、文章。 それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。 文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。 そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。 私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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