心療内科の正論と、自分の生き方について

昨日は、二週間に一度の心療内科の日でした。
まだ行っていたのか、と言われるかもしれませんが、まだ卒業できておりませぬ。

さて、そろそろわたしが回復期に向かっていると判断したのか、なかなかキツめのお言葉をいただきました。
昨日は熱が出てたんだけどな… 有休残り少ないから、頑張って出勤したあとなんだけどな…
そんなこと、もちろん先生には関係ありません。

先生も、ほとんど絶え間なく心を病んだ人の話を聞き続けているのです。ご立派です。

さて、というわけで。
いつものように「どう〜最近は〜」から始まる。

「はあ、まあ、なんとか」
「なんとか行けてるみたいやね。うん、よかった」
ちなみに先生は、謎の過大評価をしてくださるので、自分はもはや病院に来る必要などないのではないかと思ってしまう。

「あ、でも、次の三月くらいで辞めようかなと思っていまして」
診察時間は限られている。そして、心療内科はカウンセリングルームでもないし、占い屋でもない。
ここ最近の体調とか、自分で考えたこととかは思い切り端折って、結論を言ってみた。

「ふうん、で、その後はどうするの?」
「作家になりたいんです。今の生活じゃ、土日は満足に読んだり書いたりするほどの体力と気力が残らないし、ましてや友達に会うこともできない。こんな風に、好きなことを我慢して、会いたい人にも会えず、ごまかしながら何とか生きていくのはもうできません。わたしは書きたいし、読みたい」

心の中では、公務員になったのは、書くことと読むことを守るために、食い扶持を稼ぐためになったんだということ、書くことをお金の為にしたくなかったこと、そしてそんなことがうまく両立できるほど自分は器用じゃなかったということ、考えに考えたことなんだということ、いろいろな経過が巡り巡っていた。
けれどわたしは、そんなことを瞬時に頭で整理してぽんぽんと出せるほど「会話」というものが得意でもないし、そもそも先生にどこまで話すべきなのか、一体わたしにどの程度の時間が許され、診断にはどのくらいの情報提供が求められているのかわからなくなった。
その結果、端的に結論だけを淡々と述べる結果になったのだ。
だってわたしの後ろには、まだまだ救いを求める人がたくさん並んでいたから。
こころの病気は、「救ってもらう」のではないのに、それでもやっぱりどこかにすがりたくて、それほど追いつめられた人たちがたくさん待っていたから。

そしてここからが、先生の反撃っ☆
「好きなことをして生きていくなんて、ほとんどの場合無理だよ。みんな、好きなことを諦めて、休日に趣味として楽しんで、何とか頑張ってるの。わたしももう友達なんて何年も会ってない。でもね、それが大人になるってこと」

そうか、じゃあわたしは大人になんてならなくてもいい。
アダルトチルドレンだって言われてもいいんだ。

「それに、作家なんて狭き門。バイトしながらにしたって、不安定だし。今の仕事はとても安定しているし、あなたが次に何か仕事に就くとして、今より条件のいいところにはまず就職できない。だから、今の仕事を続けながら、業務時間中にいかに疲れずに休日の趣味を楽しむことができるかを目指すほうが現実的だよ」

そう、正論でゲンジツテキ。
先生の言うことは、本当に正しかった。
「70点でいいから」と口癖のように繰り返す先生は、きっとうまく社会でやっていくやり方を知っているのだろう。

70点。
70点。
だから、70点じゃだめなんだよ。
仕事中も、わたしはうまく休息が取れない。全身全霊で頑張ってしまう。
全部100点を取れないことはわかった。
だから、得意なところを100点、30点しか取れない苦手なところは誰かに任せる。
これで随分楽にはなったのだ。

けれど、仕事中にちょっと休息する暇があるなら。
わたしは早く仕事を切り上げて、さっさと帰って本が読みたい。

それができないなら、自分の仕事を超えてでも、とにかく仕事をねじ込んで、自分の生産価値を上げたい。
「時間」というものを本当に大切にしている。
休日を買うために、平日働いている。
だけど、平日に学ぶことも多くて(いいことも悪いことも、社会経験として)、そうなると一分一秒も無駄にするわけにはいかなくなる。

そんな器用には生きられないんだってば。
そのくせ、好きなことは諦められないんだよ。
わたしから読むことと書くことを奪ったら、それは死よりもつらい地獄になる。

あとは覚悟を決めるだけ。
誰に何と言われようと、正論は正論として受け止めて、それでも安全カードを捨てる覚悟。

こわくて足が震える。

わたしは、自分勝手でわがままです。
自由でいたいから、責任ってやつがきらい。
結婚も、子どもも、ちょっと足踏みしちゃう。
それができるできない以前の問題として、自分がしたいかどうかというところでつまづく。

それでも、どうしてもどうしても、好きなことを諦められない。
体力回復でほとんどか終わってしまう休日の合間にちょこっとやるくらいじゃ満たされない。

けれど、100%自由でいることのつらさやもわかっているから。
100%自由であるということ
『カラマーゾフの兄弟(上)/ドストエフスキー』でも書いてます

だからこわいんだ。
こわくてあたりまえ。

ごめんなさいね、わたしに巻き込まれる人々。
大好きです。
でも、竜巻に巻き込まれたくなければ、できるだけ離れててね。笑

P.S.いちおう、体力がもちそうなら、もうしばらく続けるつもりではおります。
たった一人尊敬する上司がいるし、この人とまだ仕事してたい。市役所という村も結構おもしろいし、ネタがたまりそうだから。←

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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