若いうちにたくさん叱られておいてください、というアドバイス。

会社員には、定期的に研修というものがございます。
仕事もせずに、タダで、いやお給料もらいながらお勉強させていただいているわけで。
ベンチャー出身のわたしとしては、さすが大きな組織は違うねえ、と思うところです。
それが実際に役に立つかどうかはともかくとして。

先日の研修での一コマ。

先生「とにかくね、若いうちはたくさん叱られておいてください。叱られないままに大人になっちゃうと、すごくかっこ悪い先輩になっちゃいますからね。私も若い頃はよーく叱られたもんです」

この一言で、わたしの頭の中にはたくさんの疑問符や思考がうずまくことになる。
こんなふうに、何気ない日常が情報過多になってしまうのには、わたしの脳に問題があるに違いない。

以下、感じたことまとめ。

本当に叱られたほうがいいのか?

「叱る」という行為が起こる際、叱る方の上司も、叱られる方の部下もどちらもいい思いはしないだろう。
たくさんのエネルギーを使い、結局は徒労に終わることも。

では、叱ることが前提にあったとして、それが無駄に終わらないためにはどうしたらいいんだろう。

1,上司が愛を持って叱る

当たり前だよ、と言われてしまいそうだけれど、上司の方もまぁ叱りたくて叱ってるんじゃないだろうと。
感情的に八つ当たりしているだけなら、それは指導としての「叱る」を越えたただのサンドバッグとして部下に当っているだけなんじゃ。
そういう場合は無視するに限る。
けれど、本当に部下に成長してほしい、部下の将来を思って指導してやりたいと思って叱ってくれているなら、その人は良い上司です。
あるいは、部下の成長によって自分も間接的に楽になるかもしれないしね。

2,部下が真摯に受け止める

いくら上司が愛を持って叱ってくれていても、こっちの方がふてくされていては、どうにもならない。
上司が叱るのには、わけがある。
自分の行動に否がなかったか? なかったとしても、組織全体としては適切でない優先順位で仕事をしたり、そんな態度を取らなかったか?
思い当たるフシがなければ、仕方がない。
あまり気にしないでおくか、ふてくされておこう。

というか、この二者の間に認識の齟齬があるから、うまくいかないんだろう。
新人に向けて、研修という大義名分のもと第三者の講師に「叱られておけ」と言わせるのは、組織としての利益は大きいのかもしれない。

自分は叱られたくない

とはいえ、わたしは叱られたくない。
叱られないように叱られないように、入念に準備して、わからない時は適宜質問し、手遅れになる前に上司にヘルプを出す。
むちゃくちゃ空気を読もうとするのでタイヘン消耗するが、叱られるよりはマシ。

というか、叱られないために、あわよくば褒められたいがために生きてきたので、社会に出て苦労しているわけですが。

今の上司たちは、わたしの性格をよくわかってくれているのか、全く叱らない。
叱られたことがない。
けれど、わたしのためになることは、ちゃんと言ってくれる。
電話対応だとか、優先順位を間違えている場合だとか、いろいろ。
指示は指摘はちゃんとしてくれるのだ。
上司なりに気を遣いながらも、見捨てないでいてくれている。
とても愛を感じます。
それでも、叱られないための先読み行動を常に意識していると、ほんとうにとても疲れる。

自分が先輩や上司になったら

わたしは昔からいわゆる「先輩っ子」だった。
同期や後輩の前だと、つい背伸びしてしまう。
だから、あまり長く一緒にいると、息切れしてきちゃう。
本当の自分じゃないことが多いから。

でも、先輩とだったら、できない自分でもいい。
だってそれが当たり前だから。
その安心感に、ずっと身を委ねてきた。

それでも、どこかで「自分は先輩たちと肩を並べているんだ」という変な勘違いはしていた。
そんないびつな背伸びの仕方でしか、自分の価値を見いだせなかった。
否定されることが怖くて、すごくない自分が嫌で、自分に自信はないくせに、プライドだけはやけに高い、そんな厄介な自分を生きてきた。
二十年以上、ほとんど何の疑問も持たずに。
「わたしは、自分は嫌いだけれど、他の誰かになりたいとは思わない」なんて矛盾した気持ちを抱えながら。

そんなわたしは、自分が上司になるのがとてつもなく嫌なのである。

上司になりたくない表向きの理由

自分はいつでも誰に対しても、「人間」として対等だと思って生きてきた。
それは驕りかもしれないけれど、生まれた時期が違うだけで、その人たちの間にどうして上下が生まれるんだ。
ある人に対する尊敬や、忠誠ってやつは、その人そのものについてくるものであって、年齢や役職につくものじゃない。

事実、部長や課長よりも、隣の先輩のほうがずっと尊敬できるのだ。

「仕事の関係は、人間そのものの上下を決めるものではない」
「自分が上司になった時、部下や後輩に対して対等であろうとすればいいだけじゃないか」

そういう意見ももちろんあるだろう。
けれど、上下は生まれるのだ。ある意味では。

上司になりたくない裏向きの理由

わたし、絶対にひとりで全部やろうとしてしまう。
チームワークが苦手。
個人プレイの上に成り立つチームが、ベスト。
自分の人生でも精一杯なのに、誰かを指導するなんて、考えただけでも空恐ろしい。
歳下と関わるなら、あくまでも「対等な人間同士」としてがいいんだもの。

というわけで、まだまだ不器用な生き方は続きます。

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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