人生はマラソンでもなくて、旅行かばんでもなくて。

人生って何だろう?
何のために生きてんだろう?

多かれ少なかれ、そんな疑問を抱きながら生きている人は多いのではないだろうか。

それに対して答えはないけれど、今までどうにか答えを見つけようと、答えみたいなものを見つけることによってなんとか自分を納得させようと、様々な解釈がされてきた。

例えば、「人生はマラソンだ」という解釈。

マラソンというのは(わたしは1キロ以上連続で走ったことがない、マジで)、しばしば人生に例えられる。
それは、とにかく一歩一歩をすすめていくこと。
走ってきた道は引き返せないということ。
苦しくても、走り続けなきゃゴールはないんだということ。

そんな要素が人生にもしばしば見受けられるからかもしれない。
けれど。
マラソンには、コースがある。ゴールがある。
生き方の選択肢があまりなかった(というと失礼かもしれないけれど)昔なら、その例えは秀逸だったかもしれない。
あるいは、人々のコースを決め、予め与えたゴールに向かわせたいという大きな思想が後ろについていたりする場合。

そんなわけで、わたしは人生はマラソンだとは一概には言えないと思う。

例えば、「人生は容れ物だ」という解釈。

これは、わたしの敬愛する村上春樹氏が言っていた言葉。

『僕は基本的に、人生とはただの容れ物だと思っています。空っぽのかばんみたいなものです。そこに何を入れていくか(何を入れていかないか)はあくまで本人次第です。だから「容れ物とは何か?」みたいなことを考え込むよりは、「そこに何を入れるか?」ということを考えていった方がいいと思います』

これについて、わたしは大いに共感する。
まさにそのとおりだ! と。
村上さんらしいなあと思う。
そしてわたしは思う。
そのかばんは、出し入れ可能なのだろうか?と。
重荷になったらひょいひょいと取り出したりできるものなのか、と。
そうじゃないことも、人生にはきっとあるから。
でも、何でもかんでも詰め込むわけにはいかない、これを入れたいならあれは諦めなくちゃいけない、みたいな概念にはすごく共感する。
そして、容れ物の意味ではなく、そこに何を入れていくかを考えるほうがいい、というところも。
村上氏のいいところは、「僕はこう思う」と、決して一般論化しないところ。

ただ、やっぱり「人生の意味ってなんだろう」って考えちゃう人はいると思う。わたしとか。
考えまい、としても考えてしまうのは、どうしようもない。
頭ってやつは、全然論理的じゃないから。

そういうわけで、わたしなりにない頭をひねって考えてみたのです。
人生の意味みたいなものも加味しつつ、「容れ物」としての人生をどう生きていくかという比喩を。

ここからは、ただの自己満足披露大会になりますので、ご了承を。

生まれた時、みんな真っ白いキャンバスをもらう

まっさらの、何もないキャンバス。
どんな大きさのキャンバスなのかは、死ぬ瞬間になるまでわからない。

生きていくうえで、ここにどんどん絵を描いていく。
描いた絵は、消せない。
例え消しゴムで消したとしても、その跡はしっかりと残ってしまう。

だからこそ、すでに描いた絵を愛してあげてほしい。
それはきっと、絵の邪魔なんかしない。次に筆を進める時の助けになってくれる。
ぜんぶ活かして、次にどう筆を入れようかを考えればいいのだ。

鉛筆一本で絵を描いていく人もいるだろう。
色鉛筆や筆をたくさん使って描いていく人もいるだろう。
あるいは、いろんなものをペタペタ貼り付ける人。
気に入らない部分を破いてしまう人。
同じ◯ばかりを淡々と描き続ける人。
ずっと細かな絵を描き続ける人や、大半は筆を置いていて、時々大きな絵を大胆に描く人。

そういう「描き方」が、わたしなりの「生き方」だと思う。
だから。
だからこそ。
今からどんな絵を描いていくのか、真剣に考えなくちゃ。
まだまだ残っているかもしれない、あるいはもうほんの少ししか残っていないかもしれない、キャンバスの白い部分に、これから何を描いていく?
いつか完成するかもしれない全体像の構成ばかり気にしていても、それは死ぬまでわからないんだよ。

死ぬ時に後悔するくらいなら、今の行動で五年後に後悔するほうがずっといいね。
わたしは、そういう人間。

そして、わたしが求め続ける「人生の意味」ってやつに一定の答えを与えるとするならば。
死ぬまさにその瞬間に、自分のキャンバスを見て、「あ、わたしこの絵けっこー好きだわ」って思うことなんじゃないでしょうかね。

キャンバス

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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