食べるものと一緒に生きる
にんじんをジャガイモと答えたり、
なすをきゅうりと答えたり、
ピーマンというのがいったいなにものなのか、さっぱり検討もつかない海外の子どもたちの映像を、見たことがある。
あれは今思い出しても奇妙な光景だった。
同じ地球上でこんなことが起こりうるのだろうか、というくらいの衝撃と、
誰かがつまらない冗談でも言って、場がしらけてしまった時のような、あのくらくらとした陽炎を体で感じた。
そして、心はそれを受け入れられなくて、ただ目の前の画面をじっと見ていた。
地球が終わりに向かっている感覚、というと大げさだろうか。
口にはいるものがどんな形をしていたか知らない。
どこで作られたものかも知らない。
誰が、どんな風に育てたものかも知らない。
そんなものを食べて、今の子どもたちは大きくなっているのだという。
私はいろいろな価値観の存在を肯定したいし、
こういうこともあるのだ。こういう人もいるのだ。
と大抵のことはゆらりと通り過ぎられるけれど、これはさすがに戦慄が走った。
小さい頃に体に入れられるものというのは、その人のこれからを作る。
体を、心を、生き方を作っていく。
だから、その人がしっかりと自分で判断して、どんな食べ物をどんな風に摂り入れようかという決断がくだせるようになるまでは、きちんと周りの者が教えてあげなければならない。
嘘の食べ物を、体に覚えさせてはいけない。
子供は欲しがる。好奇心を刺激する甘い蜜を、素直に欲する。
今の時代、それを完全に取り去ることはできないし、全部が全部ダメだというわけでもないと思う。
それでも。
自然で育った野菜や、魚や、肉や、そういうものを美味しいと感じられる人は、やっぱり美しい。
ただただ美しいのだ。
体が透けて見えるみたいに。
私は好みの関係でほとんどベジタリアンだけれど、魚も肉も、好きならどんどん食べたらいいと思う。
誰の命も奪わずにいるためには、直ちに死んでしまう以外に方法はない。
人は奪いながら生きていく。
そんなことがちゃんとわかる人間になると、きっと貪り食うことも、食べ物を捨てることも、少なくなる。
人間は理性だけでは生きていけないから、時には過ちも犯す。
それでも「奪っている」という感覚は、たとえその事実が自分の胸をちくちくと刺そうとも、見つめていなくてはならない。
私は農家の孫なので、野菜や米と共に育ってきた。
野菜を収穫する時、余裕があればこんな風に語りかけたりする。
私はおまえをおいしく食べるよ、ごめんなさいとは言わない。そうしないと私は生きていけないんだ。その代わり、私が死ぬときはお前の養分になるよ。
野菜は素直だ。
本当に嘘をつかない。
野菜を見ると、それらが育ってきた過程が見える。
毎日庭の世話をするようになってから、それに気がついた。
私にどうこうできる話ではないけれど、子どもたちと触れる機会があったら、これだけは伝えたい。
食べるために命をもらうことに罪悪感を感じなくてもいい。けれど、たまにでいい。たまにでいいから、食べるときはちゃんと野菜を見て欲しい。肉と魚と向き合って欲しい。そうして少しだけそれらがまだ生きていた時のことを思って、おいしく食べるんだ。
今日、太陽をいっぱい浴びた茄子が採れた。
立派な立派な、長ナス。
ナスには、ヘタのところに鋭い刺(とげ)があるのをご存知だろうか。
私は何度もそこで手を刺してしまう。
ナスは、最後の抵抗を試みているのかもしれない。
君たちを、きっと誰よりもおいしく料理するから、どうか私の血となり肉となれ。
そうして私は、君たちの子供を育てるための養分を、また少し体に蓄えておくのだ。
どうもありがとう。
今年は桃の木にもたくさん実がなっている。
桃の木は3年で実をつけはじめ、15年でその生を終えると言われる。
もしかしたら、今年は有終の美なのかもしれない。
そんなことを思いながら、ひとつひとつ、大事にいただくのです。
ブログ運営者
-
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。
文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。
新しい書きもの
言葉の切れ端2021.03.03抜かれたクッキーの味方をする仕事[言葉の切れ端205]
言葉の切れ端2021.02.28何もかもが変わってしまう[言葉の切れ端204]
言葉の切れ端2021.02.25有限な資源は無限に近づいている[言葉の切れ端203]
言葉の切れ端2021.02.22リスクだけを考えて立てる計画[言葉の切れ端202]
新刊発売中!
冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。
『レモンドロップの形をした長い前置き』
著者:田中千尋
販売形態:電子書籍、ペーパーバック(紙の書籍でお届け。POD=プリントオンデマンドを利用)
販売価格:電子書籍450円(※Kindle Unlimitedをご利用の方は無料で読めます)、ペーパーバック2,420円
“食べるものと一緒に生きる”へ1件のコメント