別に理由もないけど、学校に行きたくない時の親の対応について

「お母さん、今熱を計ったら、37.8℃あったんだ。今日は学校を休んでもいいかな」

子ども仮病

忘れもしない、小学校二年の時のことだった。

その日、わたしは理由もなく学校に行きたくなかった。
25歳になった今なら、きっとうまく説明できるかもしれない、そういう心のもやもやを。

わたしはいつも一番に課題を終えて、しかもそれが満点でないと気が済まない子どもだった。
二番では意味がなく、九十九点は零点と同義だった。

「優等生」は疎まれる。
そして、できることが当たり前になってくると、褒められるハードルが高くなる。
逆に、できなかった時は驚かれてしまうくらい。
それがひどく嫌だった。恥ずかしかった。
だから、疎まれないように。けれど、落胆もされないように。

時にはピエロになりながら、それでも優等生であろうとした。

幼稚園の頃から、ひとつもふたつも上の学年のドリルをやりたがる子どもだった。
「ほめてもらえるから」
それだけが嬉しくて。

きっと、そうすることで幼いなりに自己の存在を確認していたのかもしれない。

そして、わたしは仮病を使った。
どこでそんな知識を仕入れたのだろう、「水銀の体温計は、振ると温度が上がる」ことを、8歳のわたしは知っていた。
37.8℃。
そんな数字を、今でも覚えている。
きっと、「病院に行くほどでもないけれど、学校を休んでいい」という、わたしなりの境界線だったのだろう。

「お母さん、今熱を計ったら、37.8℃あったんだ。今日は学校を休んでもいいかな」
決して計画していたわけではない。
その日、突然の思いつきでそのような行動に出たのだった。
どうしても学校に行って、うまく”わたし”を振る舞える気がしなかった。

わたしのことを、負けん気が強くて向上心があって、そして素直でまっすぐな子どもだと信じていたであろう母は、もちろん快諾してくれた。
わたしを心配し、その日は早めに帰ってきてくれたような気もする。
少し高価なフルーツなんかを買って。

嘘をついた。
お母さんを騙してしまった。
その日の夕方、わたしはとてつもない罪悪感に苛まれた。
自分の中に、8歳のからだに抱え込むにはあまりにも大きな罪悪感が生まれてしまい、わたしはお母さんに告白した。

「ほんとうは、ほんとうは、熱なんてなかったの。ずる休みだったの」

ああ、これでわたしは悪い子になる。
でも、それでほんの少し楽に慣れる気さえした。

「怒られる」
そう覚悟して身を固くした時、母のかけた言葉は予想外のものだった。

「ああ、そうだったの。あるよね、そういう時。ともかく熱がなくてよかった」

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
罪悪感と、安堵と、驚きと、後悔と、どうしてわたしはこんなことをしてしまったのだろうという気持ちが全部混ざって、わたしは混乱した。
そして、次の日はちゃんと学校に行った。

あれが何日も続いたら、教育ママのうちの母親は許さなかったのかもしれない。
理解できずに、学校へ行くことを強いたかもしれない。
けれど、わたしにとってあの一日は、とても大きな意味を持った。

実を言うと、仮病を使ってずる休みをしたのはこれが最初で最後ではない。
中学受験の前。
朝の9時から夜の10時半まで進学塾に缶詰にされていたわたしは、冬休みが終わっても学校に行かなかった。

「勉強があるから」
そう言って、誰もいない家で、漫画を読んだ。
小学校になんて、行きたくなかった。

離れには、おじいちゃんとおばあちゃんがいた。
お小遣いをもらって、近くのコンビニでお菓子を買っていた。

その進学塾で、わたしはうまく「優等生」になれないでいた。
けれど、わたしは小学校では優等生でいなければならなかった。

小学生の頃はひどい八方美人だったし(中学校にあがってから、それは緩和されたけれど、少しおかしな方向に爆発した。この話はまた今度。)、失敗を隠したがる子どもだった。
疲れてしまうこともあったけれど、「疲れた」なんて言えるはずもなかった。
「心が疲れる」
そんな言葉を知らなかったし、そう認めてしまうことは負けるってことじゃないか。
自分に。

わたしのそういう傾向は、大学生になっても続いた。
心が疲れるという現象を、その表現方法を知った後は、本当の体調不良が次々と襲ってきた。
まるでわたしの心が休む口実を与えてくれるみたいに。

今でもそれは、まだ残っていると思う。
恐らくそれは、克服する類のものではなく、「受け容れる」類のものなのだと思う。

わたしは、きれいに見せかけて、汚い。
すごく、ずるい。

でも、あの時の「あるよね、そういう時。」という母の一言は、今でもくっきりと覚えている。

いくらかマシにはなったものの、わたしにはそういう傾向がある。
自分の中に抱える、黒の部分。

誰しもそういうものを持っているものかもしれない。
ある人は、それをうまく外に出すことができるし、不器用な人は、もう糸が切れてしまうまで自分の中に溜め込んでしまうのかもしれない。

子どもは、大人が思う以上に色々なことを感じ、考えている。
それを、自分の気持ちの中ですらうまく理解できずに、従って言葉にもできない。

伝えられない心のもやを、どうにかやり過ごさなければならない。
ある時には泣きわめいて。
ある時には無言を貫いて。
ある時にはしたたかに大人をだましたりして。

そろそろ、「自分のための生き方」ってやつをしてもいい時が、いや、するべき時が来ている。
誰かに褒められるために生きることは、そこから生まれる結果を、その誰かのせいにしてしまえる状態を維持したいだけなのかもしれない。

自分で自分の尻拭いをする覚悟で、自分のために生きる。
それが、わたしの思う大人。
きっとそのほうが、周りの人とも良好な関係を築けるんじゃないか。

いつかもし自分が親になることがあるとしても。
子どもが学校に行かなくなった時に、絶対に、絶対に、わたしは無理やり行かせることはしないと思う。

学校に、それほどまでして行くほどの、何があるというのだろう。
一生懸命な先生も、そうじゃない先生も、まだ未熟な同級生も。その中でうまくやれなくて、何が悪いというのだ。

親にできることは少ないかもしれないけれど、「夢中になれる何か」を一緒に探してやる手伝い、そうでなくても一緒に「学校をボイコットすることを受け容れる」ことをするくらいならできるんじゃないのか。
この記事を読んで、そんなことを思った。

「ぷよぷよを一緒にしてくれた」ゲームに夢中で不登校だった僕に、親がしてくれた神対応 | Conobie[コノビー]

ああ、そう言えばちょうど、こんな記事も読んだんだった。
褒められることの恐ろしさ | 為末大・侍オフィシャルサイト

「誰かのために生きる」というのは、とても聞こえがいいけれど、結局のところ自分に対してすごく無責任で、自分と向き合うことから逃げてるってことなのかもなぁ。

でもね、それが悪いと言っているわけでは、決してない。
誰かのために生きて、その誰かは自分のために生きてくれて、それが依存だとか、不健全だとかいう考え方ももちろんあるだろう。
ただ、人間ってそんなに強くない。
そんな生き方だってあっていいし、一生じゃなくてもそういう時期があっていい。

別にどう生きたって、いつか人生は終わるんだもの。
そう遠くない未来に。
だったら、自分が思うやり方で、あるいはそうとしかできないやり方で、生きてくしかないんじゃない。

最近、週末だけじゃ書くことに対する欲が満たせなくて、友達と会う時間はもちろん、休日の読む時間も、平日の睡眠時間も少しずつ削られている。
わたしの頑固で身勝手な心を守るために、体が代わりに壊れてしまう前に、次の一手を打たなきゃ。
まだ、もう少しここで学べることがある気がしているのになぁ。

いつまで経っても、何かを学びたくて、子どものままで、ずっとずっと、わたしはこんなわたしなんだろうなぁ。って思う。

そしてそれは、案外悪くない、かも。

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