好きなことばかりじゃ、生きてけないの?
今日も、小説を読んでいる。
いい文章を通り抜けると、胸がきゅうと音を立てる。
これは、恋なんだと確信する。
「これが恋なんだ」と、わかる瞬間がある。
わたしの場合、その甘酸っぱいような、もどかしいような、そんな気持ちを体験させてくれるのが、小説。
自分で文章を書いている時には味わえない、次の一行に何が書かれているかわからないあのどきどきした気持ち。
文章を書くということは、どちらかと言うともっと生理的欲求に近い。
恋ではなく、食欲。睡眠欲。種を残す手段としての性欲。空気。水。
それがなくては、生きてはいけない。
物を書くのが好きだとか、物書きでは食っていけないとか、そういう話では、もはやないのだ。
書きたくて、書きたくて、書きたくなくても書かなきゃいけなくて、書かなきゃ生きていられない。
好きだよ、もちろん。
でも、好きじゃない時も、疲れてる時も、疲れている時こそ、体の中にいろんなものが溜まって、ちゃんと出してやるってことをしてやらないと、わたしの肉体と精神は堪えられない。
だから、読むことでうまくバランスを取ってやる。
人間の心には、娯楽が必要だから。
少しの隙間が必要だから。
素敵な本は、早くページをめくりたくなる。
一気に読んでしまいたくなる。
でも、読み終えてしまいたくない。
一文字一文字を、しっかりと自分の中に染み込ませてからでないと、進みたくない。
そんな風にして、わたしの心はとくとくと音を立てる。
恋の音。
ああ、読みたい。
読んでしまいたい。
明日の仕事のことなんて放っぽり出して、徹夜してでも。
ああ、書きたい。溜まってるんだよ、わたしの中に。
文章にされなきゃうまく消化できないものごとたちが。
もっともっと、書いてたいんだよ。
喉がカラカラに渇くまで。
胃の中がからっぽになるまで。
でも、と、わたしは思う。
もしほんとうに、明日の仕事がなかったら?
ずっと、ずうっと、好きなことばかりしていられたら?
それでもわたしは、こんな風に書いたり読んだりすることを求めるのだろうか。
求め続けるだけの、愛と強さと信念を持っているのだろうか。
仮に、当面はお金の心配がなかったとして。
それでもなお、わたしの精神は、その「好きなこと」を四六時中することに耐えられるのだろうか。
「当たり前じゃないか、何を言っているんだ」
そう即答できるようになったら、わたしは仕事を辞めようと思う。
だから。
今、好きなことを生活のいちばん中心に置いている人を、わたしは心からすごいと思う。
どんな言い訳も通じない。
自分を甘やかすこともできない。
嘘は、自分にだけは、ばれてしまう。
それでも好きなことを好きでいられたら。
もう、その他の事情なんてほっぽりだして、好きなことして生きていいんだよ。
やめる。
そう決めたそばから優しくされると、やめたくなくなる。
ここにいれば、必ず役に立てるから。
こんなにもわがままな子どもを受け入れてくれて、それでもわたしの強みを必要としてくれる、大好きな上司と、まだ一緒にいたくなってしまう。
少しだけ、仕事が楽しくなってしまう。
「公務員は、仕事を楽しんだら負けだよ」
そう言って苦笑する上司の顔が、痛い。
書きたい。読みたい。
もっともっと。
今こんな風に聞こえる心の声を、わたしは信じていいですか?
それでもまぶたは出会う。
どれだけ精神で生きているつもりでも、わたしの身体は眠りを欲する。
今日はうまく眠れますように。
書いた人
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ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。
文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。
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