動的な傍観という名のマスターベーション

炎上:炎が燃え上がるさま。

けれど、このご時世、「炎上」と聞いて文字通り炎がめらめらと燃えているさまを頭に浮かべる人がいったいどれくらいいるのだろう。

炎上(ネット用語):なんらかの不祥事をきっかけに爆発的に注目を集める事態または状況を差す。また、このような状態を祭りとも呼ぶ。(Wikipediaより)

炎上

食品の異物混入だとか、アルバイトの不適切な行動だとか、あっという間に情報が日本じゅうに広がる。

けれど、今回の記事ではこういった匿名性を伴う「耳打ち」的な情報の広がりではなく、個人があくまで個人として意見を述べる形での情報の拡散について考えてみたい。

日本のみならず、海外も含めてみてみると、いわゆる「いいハナシ」がより拡散されているように感じる。
子から親へのサプライズ、障害を持った子どもへの親の対応、ホームレスへの紳士的な対応、などなど。
そういった類の話は、癒し的な効果を持って、人々の希望を背負いながら広がってゆく。

そして、それとはまた別の広がり方を見せる種類の情報もある。
例えば、女性の働き方。(今言われている資生堂ショックもその典型)
例えば、LGBT(性的マイノリティー)。
例えば、教育現場の問題。
非正規雇用、ブラックバイト。
若者の非婚化、出生率低下。
このように無限とも思える社会問題に対して、日々記事は作られる。
これらは、「拡散者が自己表現を行う手助けになる記事」とも言えるかもしれない。

つまり。
多くの人は通勤時や昼休み、寝る前のひと時にこれらの記事を流し読みする。
そして、少しでもその問題に対して自分が何か意見できそうであれば、ボタンをひと押しして、自分の発言を添えて「シェア」する。
記事に対して前向きで応援的な発言である場合もあれば、全く逆の意見を持って真っ向から対立しようとする人もいる。
一概には言えないけれど、前者は「よし、いいぞ。頑張れ」という願いを込めて拡散される場合が多い。
そして後者は。
「僕は私はこの問題に対してこんな意識を持っている。このままこの記事を看過するわけにはいかない」という半ば使命的なものを感じてシェアするのかもしれない。
こんな人たちは、実際に自分の日常と照らしあわせて、死活問題として情報を拡散させようとしている。そんなシェアやコメントの仕方ができるようになったことは、情報社会がもたらした恩恵とさえ言える。

けれど、一番厄介なのは(と、わたしが個人的に思うのは)、「こういう問題に対して自分は意識を持っていますよー。難しいですよねー。自分はこうするといいと思うのだけれど…なかなか世の中って変わりませんよねー」的なシェアの仕方を延々とする人。

こいつらは一体なんなんだ!?
自らの興味関心の高尚さをまわりに伝えるためだけに、記事の力を拝借する。
あるいは、わたし自身だって意識せずそんなシェアの仕方をしている可能性が大いにあるし、それがただ「悪」だとも言えない。
そのシェアによって、曲がりなりにも多くの人にその問題が周知されることになり、それでなんらかのムーヴメントが起こるのであれば。
人には「承認欲求」「自己実現欲求」というものが存在する。
でも、いいのか? そんなボタン一つで済んでしまうような「承認」や「自己実現」でごまかしていやしないだろうか。
その場限りのキモチイイことをしているだけになっていないか?

それはそれでいい。
キモチイイことの何が悪いのだ。
ただ、それらの「浮動票」とも言える意見にあまりに振り回されて、当の本人たち(ここでは記事内容に直接関連している人々を指す)が疲弊しきってしまったら、それほど気の毒で残念なことはないと思うのだ。

随分と前から言われているけれど、情報が簡単に手に入り、簡単に発言できてしまう時代。
それだけに、一人あたりの目にする情報は、分野・量ともに膨大になる。
その中で、手頃なものがあればひょいひょいとピックアップして、それらに一言添えることで、まるでファッションのように「自分」というかたちを作っていけるのかもしれない。

でも、人間そんなに大きなキャパシティを持って生きているわけではないのだ。
シェアやコメントをした1時間後には、ぐうぐう鳴り始めた自分のお腹をさすりながら、今晩行くお店を検索しているかもしれないのだ。
実際に汗水流して行動しているのは、自分に関係のある場合だけ。
自分に直接的に関係のないことにまで、口以上の「口出し」をするほど、人間生活は欲張れない。

だから、行動している人は、行動せずにあれこれ言う人のことなんて耳半分で聞いておけばよいのだ。
頑固すぎるのも考えものだけれど、「社会問題」なんて大きな問題に立ち向かうのに、無数とも思える人の意見全部を参考にするなんて、そのうえそれらを加味するなんて、とてもじゃないけれど、無理だ。
聖徳太子でさえ、たった10人の意見を同時に「聞く」ことまでしかできなかったのだ。
10人の意見を「はいはい」と聞いてそれを叶えていたら、行動なんてできない。

たくさんの立場の意見を簡単に入手できて、起こりうる事態を事前にある程度「検索」できたとしても。

自分の意見を聞いてください。
あなたは誰かから指令を受けるロボットではないのだから。
幸か不幸か。

情報をうまくまとめたものなんかじゃなく、思いっきり偏った「信念」を貫いてください。
情報なんて一瞬で変わるし、何万人、何十万人の問題を一挙に解決できるほど、ひとりの人間はたぶんすごくない。

その場限りのマスターベーションに満足する人々の意見ではなく、未来の命を育む意志と行動にエネルギーを向けましょう。

世界はもっと狭くていい。
ほんとうにほんとうに、たいせつなことはなんですか?

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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