人が人を裁くということ『カラマーゾフの兄弟(下)/ドストエフスキー』

今よりもずっとずっと前。
まだ科学がそれほど発達していなかった頃。

人々は、心に、情に生きていた。今と比べてということだけれども。
そこにある事実よりも、自分や他人がそれらをどのように感じ、または感じないかということが世界の全てだった。

そこでは、宗教や愛情、同情や哀れみといった感情的なものごとが力を持つ。
どんどん「客観的事実」が明らかになっていく現代で、忘れられがちなこと。

けれど、人の心はなくならない。
だから、理性と感情が喧嘩をする。

口では論理的に正しいことを言い、頭ではしっかりとそれを理解するのだけれど、結局のところ心で思っていることは昔からさほど変わらない。本能的な部分で。
だから今の人たちは、表面的にはうまく辻褄が合って、いろいろな差別もなくなってきて優しいように見えるけれども、異分子に対する排除願望やら、独占欲やらで、内面的な矛盾がよりいっそう強まっているように思える。
ある場合にはほとんど無意識下で。

そして、百年前に書かれた『カラマーゾフの兄弟』には、人間の感情が強く出ている。
そこに理性や科学が入り始めたばかりの時代。

近い将来、人間がもっと感情に沿うような生き方が復刻しそうな気がする。
というか、すでにそうなりつつある気がする。
「ステレオタイプ? よし、わかった」
「論理的解釈? そうだろうね」
「多様性を認め、協調を図る」
「万事は分析可能だ」

そういった神話が崩れつつあり、人々のナマの声が表面化してきている。
そして、それが瞬時に世界に発信されるということ。
わたしたちは、百年前と同じ心を持ちながら、同時に何万倍もの「事実」と、人々の「ココロ」の情報にさらされる。
本書を読んでいても、人間ってやつは、進化しているつもりでこんなにも同じことをぐるぐると考えているのかと驚かされた。
ならばわたしたちは何のために日々あくせく「進化」を求めているのだろう。

あるいは、現状維持のためにあくせくするしかないのだろうか。

これからわたしたちがそれらをどのように受け止め、処理し、吐き出していくのか。
この本を読むと、いつの時代にも「大きな転換」というのはあったのだと思わされる。

ただ、人間の寿命が伸びている分、一人の人間の体験する転換は自然と増える。
良くも悪くも、人間はより感じ、考え、変化することを求められている気がする。

以下、特に共感した部分を抜粋

世間には、深い感情を持ちながら、なにか抑圧された人々がいるものです。そういう人たちの道化行為は、長年にわたる卑劣ないじけのために、面と向って真実を言ってやれない相手に対する、恨みのようなものですよ P52

能力は妬みを呼ぶ。あるいは社会に適応しない能力は、爪弾きにされる。
そんな扱いを受けた人が最後に人々に受け入れられるために選ぶ職業は、「ピエロ」なんじゃなかろうか。

問題は、僕がどういう信念を持っているかで、僕がいくつかってことじゃないはずです、そうでしょう? P85

「若さ」を理由にレッテルを貼られる時、わたしはまさにこういった気持ちになる。

人間なんて、いったい何度こっけいになったり、こっけいに見えたりするか、わからないんですよ。それなのに、この節では才能をそなえたほとんどすべての人が、こっけいな存在になることをひどく恐れて、そのために不幸でいるんです。 P92

他人の目を気にするのは、人間の性なのだろう。
「他人の目を気にせず、自分らしく」という”理論”が例え正しかったとしても。

あの人いつも歩きまわって空想ばかりしているのよ。あの人はこう言うわ。なぜ本当に生活する必要があるだろう、空想しているほうがずっといいのにって。空想ならどんな楽しいことでもできるけど、生活するのは退屈だ、なんて。そのくせご当人はもうすぐ結婚するのよ。P139

ああ、わかる。精神だけで生きていきたいと願いつつも、結局のところ肉体を抱えて生きていくしかないとどこかでわかっているから、実際的で退屈な儀式を求めてしまう。

残念ながら、真実ってやつはほとんど常に、ピントはずれなものだからね。 P255

われ思う、ゆえにわれ在り、だからね。これなら僕もたしかに知っているよ。そのほか、僕の周囲にあるものはみな、この世界も、神も、悪魔そのものさえも、はたしてそれが独立して存在するのか、それとも単に僕の発散物にすぎないのか、太古から個として存在している僕の自我の連続的な発展でしかないのか、僕にとってはまだ証明されていないんだよ P259

現在の地球そのものも、ことによると、もう十億回もくりかえされたものかもしれないんだよ。地球が寿命を終えて、凍りつき、ひびわれ、ばらばらに砕けて、構成元素に分解し、また大地の上空を水が充たし、それからふたたび彗星が、ふたたび太陽が現われ、太陽からまたしても地球が生れる――この過程がひょっとすると、すでに無限にくりかえされてきたのかもしれないじゃないか、それも細かな点にいたるまで、そっくり同じ形でさ。やりきれぬくらい退屈な話さね…… P262

こういうことをぐるぐる考えていると、ある時にはやりきれぬ無力感がわたしを襲い、ある時には「自分の悩みなんてちっぽけだ」と救われる。宇宙も、地球も、人間も、ぜんぶ不思議で、どれもが確実ではないというのは、なんと素晴らしいのだろうと、冷静な時のわたしは思う。

これからの人生にとって、何かすばらしい思い出、それも特に子供のころ、親の家にいるころに作られたすばらしい思い出以上に、尊く、力強く、健康で、ためになるものは何一つないのです。(中略)そういう思い出をたくさん集めて人生を作りあげるなら、その人はその後一生、救われるでしょう。 P493

こういう文章をときたま見かける。
わたしは、これからの人生に、子どものころ以上の出来事は起こらないのかと怖くなる。
確かにあの頃、世界は無限だった。
広く、キラキラしていた。
けれど、これからわたしはどんどん歳をとっていく。できないことも多くなる。
そんな時にブルーにならずに、味わったたくさんの経験を紡いでいって、できるようになったことに目を向けられる人になりたい。

『カラマーゾフの兄弟(上)/ドストエフスキー』
『カラマーゾフの兄弟(中)/ドストエフスキー』
さすが、名作でした。

書いた人

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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