ふつうに暮らすことは不謹慎なの?

今日も、遠い国の誰かが死んでゆく。
それは自然な死であるかもしれない。
あるいは、不幸な事故かもしれない。
長年の悪習慣が生んだ結果かもしれない。

金曜日みたいに、小さな憎しみが集まって、もう自分たちでもどうしようもないくらい膨張して、爆発してしまった、その台風の目にいた人たちかもしれない。

かなしみは、海を越える。
ほんのすこし昔なら知りえない情報。
インターネットは、わたしたちに人の心も運んでくる。
強い憎しみも
深いかなしみも
やりきれない無力感も
得体のしれない異物への畏れも

それがほんとうの感情なのかを確かめる暇もなく、映像や文字がわたしたちに伝える。
ある人から見た事実を。
別の誰かは、また違う事実を。

わたしたちは、人が生きたり死んだりする瞬間を「情報」として知りすぎている。
その情報を自分の中に通過させて、何かを感じて、納得して、自分の中で新しい一歩を踏み出す前に、また次の情報が入る。

脳は目まぐるしく情報を処理して、何かを言ったり、言いたいことを控えたりする。
さもないと、世界があたしに刺さってくるから。

実感さえできないほど遠いどこかのできごとを、まるで当事者であるかのように振る舞うために、人々は共通の敵をつくる。
こういうときの団結力って、すごい。
普段いがみ合っている人たちが、その関係性の中ではなく、全く外に敵を見つけた途端、ひとつになる。

わたしにはそれがこわい。

だから、目をそむけたくて、ふつうの毎日を暮らそうと懸命になる。
ただでさえ、毎日が情報の洪水なのだ。
こんなにもたくさんの人が、同じ情報に対して違う意見をぶつからせる場面は、わたしには役者不足なのだ。

ココアを飲んで。
スイートポテトをつくる。
スーパーマーケットで夕飯の買い物をし、
今年もたくさんの実をつけた柿を収穫する。

そうでもしないと、わたしの毎日は、大きな何かに呑み込まれたままどこかへ流れていってしまう。

そんなふうに過ごすことが不謹慎だという人もいるかもしれない。

けれど、ここにいるわたしに何ができる?
馬鹿みたいに「わたしも悲しんでいます」と、小さな声で叫ぶことや、まるで頭のきれる人みたく世界情勢を分析することが、誰に何を届けられるのだろう?

何もできないなら、わたしはここでわたしの毎日を送るしかない。
そんな「自分の暮らし」が積みかさなって、次の時代をつくる。
目の前の自分を生きずに、どこかの誰かの人生に想いを馳せて、分析して、かなしんで。
それだけで自分の人生が成り立つなんて、そんな人生甘くない。

ちゃんと自分が傷つかなきゃ。
愛さなきゃ。
病んで、ぶつかって。
おいしいものを食べて、あたたかいお風呂に入って。

自分と違う暮らしをしている、そう暮らさざるをえない人がいるんだってことを、頭のどこかでわかっているだけでいいと思うんだ。

世界じゅうぜんぶを抱えて生きられるほど、一人の人間は強くないから。

スイートポテト

ココア

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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できることなら、十四歳という年齢はすっとばしてしまえるのがいい。
冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

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