物語のあり方と、本が時代を飛ぶこと『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』/河合隼雄 村上春樹

対談、というものをあまり読まない。
人がひとりで書いたものじゃなく、話をしている時は、多かれ少なかれ本音が隠されてしまうような気がして。
せっかくの文章なのに、そこに人の心がちゃんと入っていないのは、ちょっと残念に思うから。

けれど、この二人は別だ。
この二人は、対談することでより深いところに入っていくことができるように思うし、それが文字に直されることでより一層、内包する世界が明らかになる感じがする。

この対談は、1995年11月に行われたらしい。
今から20年も前の話だ。

そこには、これからの若者、日本人の精神、現代を生きることについてが書かれている。
読み終わった後、まさにこの本に書いていることは「今」の日本が抱えていることなのだろうと強く感じた。
それだけこの二人の考え方が当時の時代に比べて先進的だったのもあるだろうし、日本という国が、あるいは世界が、精神的な部分ではゆっくりとしか変わっていないことの証かもしれない。

河合隼雄氏はもう亡くなっていて、それでも彼の話した内容がこのように生き生きとした形で残っているというのは、いささか奇妙な心地がする。この人はもう、この世界にいない。それなのに、わたしたちの心にこんなにもありありと生きている。
そして、村上春樹氏のほうは、この対談から20年分歳をとった彼で今を行きている。
こちらのほうが、どちらかというと変な感じがする。
彼は今もどこかで(多分、神奈川かどこか)生活していて、当然ながらこの20年で考え方もある程度変化しているだろうし、けれどこの本を読んだわたしには、20年前の彼が影響してくる。いまの、2015年のわたしに。

これってすごいことじゃないだろうか。
日々流れるニュース、facebookやTwitterじゃ、こうは行かない。

その時に発信したことが、その時の人々に影響をあたえるだけだ。
だから本って好きなんだ。

ある人の「その時」を切り取って、保存して、それが時代を超えて誰かに影響を与える。

それはさておき、この二人の話すことは本当に深い。
”深い”、としか言いようが無いのだ。

人間というものを、分析するでもなく、けれど目をそらすでもなく、「得体のしれないもの」としてしっかりと見つめている。
心理学者の河合隼雄。
小説家の村上春樹。
彼らの職業に共通するのは、やはり「物語」なのだ。

いまの若者たちは、ちょっとわからなくなっているんですよ。ドライだとか、無気力だとか言われているけど、いまの学生たちは、(中略)何にコミットしていいかということがぜんぜんわからない状況にいまいるのですね。P69

自分とは何かということをずっとさかのぼっていくと、社会と歴史ということ全体の洗い直しに行き着かざるをえない P72

人間の思想とか、政治的立場とか、そういうものを論理的整合性だけで守ろうとするのはもう終わりだ、というのがぼくの考え方なのです。人間はすごく矛盾しているんだから、いかなる矛盾を自分が抱えているかということを基礎に据えてものを言っていく P74

ストーリーというのは背後にイメージを持っていなかったら絶対に成立しないのですね。そして、たとえば、非常に内的なイメージがあったとして、それを他者に提示しようと思ったら、物語にするしかないんです。 P88

それは表現という形にする力を持っていないとだめだ、ということになるでしょうね。それと、芸術家の人は、時代の病いとか文化の病いを引き受ける力を持っているということでしょう。
ですから、それは個人的に病みつつも、個人的な病いをちょっと越えるということでしょう。個人的な病いを越えた、時代の病いとか文化の病いというものを引き受けていることで、その人の表現が普遍性を持ってくるのです。 P127

みんな偶然を待つ力がないから、何か必然的な方法で治そうとして、全部失敗するのです。 P148

人間はいろいろに病んでいるわけですが、そのいちばん根本にあるのは人間は死ぬということですよ。おそらくほかの動物は知らないと思うのだけれど、人間だけは自分が死ぬということを、自分の人生観の中に取り入れて生きていかなければいけない。それはある意味で病んでいるのですね。 P188

とにかく現代の日本のわれわれは和という点に妙にこだわりすぎたのと、精神と肉体の乖離のために、暴力に関してはものすごい抑圧を持っているのです。 P196

最近、河合隼雄をごりごりと読んでいます。
人の心というのは、学問になるくらい、ある種方程式化されうるものでもあるし、同時にさっぱりわけのわからないものでもある。

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

新刊発売中!

できることなら、十四歳という年齢はすっとばしてしまえるのがいい。
冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

『レモンドロップの形をした長い前置き』
著者:田中千尋
販売形態:電子書籍のみ
販売価格:450円(※Kindle Unlimitedをご利用の方は無料で読めます)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。