作られた欲望。

とある会社で販売促進のコラムを書かせてもらっています。
今回、ITの発達について書いていたところ、途中からだんだんと話が重くなり、ついには人生観を語りだしてしまったので、これは万人向けではないとボツにした原稿があります。
せっかく書いたので、途中からの文章をここに残しておこうと思います。

ITが生み出した、快適……?

「不快が存在するから快を感じられる」と言うと、少し哲学的に聞こえてしまうかもしれませんが、人々は今の「不快」をより良くしようと、改善したいと、試行錯誤を重ねてきました。
そうして実現したことが、今の人々を幸せにしているかどうか。
答えは十人十色だと思います。

私個人的には、「選択肢が多くなった。自由になった。その分、責任を持って選んでいかなくてはならないけれど」という感じです。

時間が細切れになり、人と面する時間<画面と面する時間になっていく。
効率化されたはずなのに、忙しくなってない?

そんな疑問を抱くかもしれません。

新しいものを求めると、当然それに費用はかかり、エラーも出てきます。そこに人手も必要になります。
ようやく落ち着いたと思うと、また新しいものが求められます。

今の若い世代は、「不快」を感じないままに「快」を与えられています。
つまり、それを「快」だと認識することができないのです。

すると何が起こるか。

上の世代が「快」として目指して実現した状態の中に、新たな「不快」を見つけ出します。
それも半永久的に。

これは、終わりが無いのです。

特に、瞬時に世界規模であらゆることがシェアされるようになった今、誰かの「不快」は伝染します。「快」よりももっと早く。

「iPhoneのアプリがすぐに落ちる」
「今のiPhoneは、速度が遅い」
「連絡先のデータが消えた」
こんな不満を言っている時、もはや人々の頭のなかにあのiPhone誕生時のワクワクした気持ちはありません。

人は革命の再来を期待しています。
不満はむしろ希望なのです。

自分の心と話すこと。

これは、人によっては結構キツイ過程です。
与えられることに慣れ、日頃から頭で考えていないと何が自分の声でどれが他人が自分にささやく声なのか見分けがつかないのです。

「新しいポテトチップスの味が出た。期間限定。私の好きな芸能人がCMをしている。今すぐコンビニに走らなきゃいけない、ような気がする」

いいのです。買っても。けれど、偽物の気持ちにだまされないでください。

これは、物を売る企業も同じこと。

「消費者は新しいもの好きだから、とりあえず新製品をバンバン出せばいい。あのCMじゃこのお菓子の良さは伝わらないけれど、人気の芸能人を起用しているから、買ってはもらえるだろう」

こんな風に、自分の心と裏腹なアピールをしている限り、本当にそのものの良さをわかって買ってくれるお客様には出会えない。

最近、物を買わなくなりました。
5秒考えてみると、実はそんなに欲しくないし、必要でもないものが大半だったのです。

図書館で本を読んでいれば幸せを感じられる。それが自分だ。そう思ってからは焦って何かを買ったり消費したりすることも少なくなりました。

欲望を否定はしません。欲を認めることは、生きることです。
自分の中から湧き出る欲望に目を向けてみると、本当の幸せが見えてくる気がします。

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ことば、文字、文章。 それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。 文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。 そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。 私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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