人が怖くて自分が嫌いで愛を求める人『人間失格/太宰治』

太宰治。人間失格。
だいぶ前から本棚に並んではいたものの、手を出せずにいた一冊。
なんだか、自分がすごく落ち込んでいる時に読んではいけないような気がして。
でも、とても愉快な時になかなか読む気にもなれなくて。
いつだったら読んでいいのだろう?

もうこんなことを言っていてはずっと読める気がしないので、微妙に体調が悪い時に読んでみました。
ものすごく体調が悪い時って、精神的にも参ってしまって何もする気が起こらないけれど、微妙に体調が悪いくらいの時って、おとなしくしているしかないし、精神的に少し凪になる瞬間がありませんか。

『人間失格』を書いたひと月後に、太宰治は自殺した。
彼の最期の思いが込められた作品なのだ。

感想。
彼が今の時代に生まれていれば、ここまで思いつめることもなく、自分を異常だとも思わず、普通に精神科かなんかに行って、「はい、ちょっと対人恐怖症になっちゃってるから、お薬飲んで安静にしていてくださいー」くらいで済んだのかもしれない。

あるいは、繊細過ぎる子だとか、軽度の発達障害だとか、人の目を気にしすぎるとか。
というくらい、結構普通の悩みだった。わたしの目には、そう映った。

だからこそ、彼の作品は「共感」されるのかもしれない。
レッテルが貼られなかったからこそ、彼自身が自分と似たような人が山ほどいるということに気づけなかったからこそ、彼はあれほどまでに孤独に陥り、結果死んでしまったのだろう。
自分自身としか対話できなくなってくると、だんだんと窮地に追いつめられてくる。その上、彼は頑固だった。

病気や障害というレッテル、カテゴリー分けには賛否両論あるし、今の医学が病気を作り出しているという理屈もたしかに頷ける。
でも、「こんなふうに感じるのは自分だけじゃない」という安心感は、与えてくれているのかもしれない。

そういう意味では、いろいろな生き方ができる今の時代は良くなっている。
自分で自分を認めやすくなっているのかもしれない。

今の人たちがこんなにも病んでいるのは、食っていくために死に物狂いにならなくて良くなって、病気や障害っていうものがわりと簡単に決定されて、治療されて、そういうものがちょっと手に余る状態なのかもしれない。

昔なら、生き方の見本みたいなものがあって、それに合わせるために努力をするしかなかった。
それでも合わないなら、もうこんなふうにおかしくなったり死んだりするしかなかった。

それを、「頑張らなくていいんだよ」「ありのままでいいんだよ」なんて言われたりすると、内心そうは思っていない自分自身や、表面には出てこない、社会の奥底に潜む異分子排除機能なんかが心を攻撃してくる。

人の心を癒すために、今の時代のわたしができることは何か。
文字通り命のつまった、全力の作品でした。

そこで考えだしたのは、道化でした。
それは、人間に対する最後の求愛でした。自分は、人間を極度の恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思いきれなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事ができたのでした。 P15

自分の小〜大学生時代と重なって、ちょっと耳が痛かった。

しかし、ああ、学校!
自分は、そこでは、尊敬されかけていたのです。尊敬されるという観念もまた、はなはだ自分を、おびえさせました。ほとんど完全に近く人をだまして、そうして、あるひとりの全知全能の者に見破られ、木っ端みじんにやられて、死ぬる以上の赤恥をかかせられる。それが、「尊敬される」という状態の自分の定義でありました。 P22

「すごいね」の中毒性は恐ろしい。
ちがうよ、わたしはあなたを欺いているよ、という罪悪感のようなものに苛まれつつも、その地位を気持ちよく捨て去ることができない。

けれども、その時以来、自分は、(世間とは個人じゃないか)という、思想めいたものを持つようになったのです。
そうして、世間というものは、個人ではなかろうかと思いはじめてから、自分は、いままでよりは多少、自分の意志で動く事ができるようになりました。 P110

目の前の「個人」と、「世間」。
たしかに、「世間様が〜〜」という文脈で使われる時、それは目の前の「個人」の感想でしかない。
けれど、これだけインターネットが発達して、世界が狭くなった今、わたしは「個人」の集まりであるはずの「世間」が時に個人というものを大きく超えて、もう操縦不可能になることに対して恐ろしくなったりする。

いま自分には、幸福も不幸もありません。
ただ、いっさいは過ぎてゆきます。
自分がいままで阿鼻叫喚で生きてきたいわゆる「人間」の世界において、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。 P162

無。
なにもないこと。
それは平和であり、凪である。
何を感じても、感じなくても、ひとまず今の科学の証明する範囲においては、時間は不可逆的にただ過ぎていき、人は朽ちる。
それを真理と言ってしまうあたりが、彼がもうこれ以上ないくらい考えに考え詰めてしまった証拠なのだろう。

ちなみに、対義語とか同義語とかの言葉遊びで、興味深い部分がある。
P135から始まる罪の対義語の話。
「罪」の対義語は、何だと思いますか?
これに対し、主人公とその友人は、議論を繰り広げる。
もちろん正解はない。

これを考えるには、「罪」とはなんだろうと考えるところから始まる。
人を殺すこと?
男をたぶらかすこと?
信号を守らないこと?
動物を食べること?
生きること?

考えるということは、自分自身が泥沼に吸い込まれないように注意さえしていれば、楽しい。

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

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