現代人に「生きる力」は残っているのか『二年間の休暇/ ジュール・ヴェルヌ』(十五少年漂流記)

日本では、『十五少年漂流記』として有名なこちらの本。
小学生くらいの時に買ってもらったのだけれど、完訳版ということでかなり重たく(文字通り重い)、500ページ以上もあるこの本を読み切ることができなかった記憶がある。

それは、25歳になった今でもわたしの本棚にあった。

いつか読んでみたい、とは思いつつも、いつも自分の興味関心をよりそそられる本ばかり読んでいた。

「こどもになりたい」そう思った時、人は大人になってしまった証拠なのだということを、どこかで聞いたことがある。
わたしは、自分のことをずっと子どもだと思っている。恥ずかしながら、今も、そしてたぶんこれからも。

だからなのかどうかはわからないけれど、この児童文学を、一切の「分析」をすることなく、純粋に冒険することができた。

9歳〜14歳の幼い少年たち15人が、無人島に流れ着いてしまうお話。

読み終わった率直な感想は、
「今の14歳が同じ状況に置かれたら、きっとすぐに死んでしまうだろう」
ということ。

時代背景も手伝ってか、少年たちは幼いながらに狩りや植物、建築やキャンプなんかの知識があった。
もちろん恐ろしかっただろうけれど、驚くほど現実的に、自分たちがその島を知り、そこで生きていくための行動を起こした。

誰も助けに来てくれない。
今のように世界じゅうに簡単に行ってしまえる時代とは、地球の大きさに対する認識が大きく違っていたに違いない。
同時に、「いつもどこかで大人が助けてくれる」という無条件の甘えのようなものも。

精神的な寂しさで、おかしくなってしまう余裕などない。
食って、寒さを凌いで、命をつないでいかなくちゃいけないのだから。

そういう意味で、精神的営みを主にしているわたしたち現代人の生活と、日常的にどちらかと言うと肉体的欲求を充たすために生きていた彼らは、根本的に違っているのだろう。

そして、そういう違いは、こういう「非常事態」に現れる。

なにも、無人島にたどり着くだけじゃない。
大きな地震。
津波。
台風。
火山。
雪崩。

人はいつ、「オフライン」になるかわからない。
いつ、自分の肉体を生きながらえるために、ただただ必死にならざるを得なくなるか、わからない。

そういうことを体験してきたはずなのに。
特に、天災の多い日本では。
それでも、そんなことを人は忘れて生きていく。
毎日心配ばかりしていても、しかたがないから。

今の人たちは、今の時代しか生きられない。

ただ、この本でわたしが興味深かったのは、彼らは島の生活の中で「精神的営み」をしていたということ。
つまり、冬ごもりの期間に勉強会をしたり、討論会を開いたりしていたのだ。
島での生活を非日常の一時的なものと捉えつつも、そこでの時間さえも自分の人生の一部としてきちんと組み込んで、切り離さずに暮らしている。
現実をほんとうの意味で受容したうえで、次の手を考える。
だからこそ彼らは、精神的におかしくもならず、奇妙に思えるくらいに冷静に島での暮らしを成り立たせたのかもしれない。

わたしたちの大半はきっと、20でも30でも40でも50でも、彼らのようには振る舞えない。

スマートフォンやパソコンの中で「住んでいる」ような人が、こんな目に遭ったら。
残念ながら、わたしは今の人たちは「生きる力」が低下している気がしてならない。わたし含め。
けれど、災害はやってくる。
今のところ、人は自然を超えられない。

読んでいるときはただただ楽しい読み物だったけれど、こんなふうに改めて考えてみると、結構深い本だなあ。

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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