いま死にたい人へ

いま、死にたくて死にたくて仕方ない人

別に生きてても楽しいことないし、死んでもいいかな、と思ってる人

死ななくてもいいけど、とにかくいまのしんどい状況から逃れたくて、でもそのためには死ぬしかないかな、と思ってる人

死にたい時と、そうでもない時と、むしろ生きたい時と順繰りにやってきて困ってる人

いろいろだと思います。

疲れますよね。心が生死さまよってると。
いろいろ敏感になるし。
自暴自棄にもなるし。
目に映るものが怖くなったりもするし。

いっそここで一思いに死ねたら、と思うこともあると思う。
月に何度も。あるいは週に、日に何度も。

でもトイレ行きたくなったり、眠くなったり、お腹すいたり。
そんな次元の欲求で悩んでるわけじゃないのに、なんで生理的欲求混じってくるんや、って思ったりします。

あなたはほんとうに死んでしまうかもしれない。
わたしだって、「生きてたら絶対にいいことあるから、死んだらあかん」なんて無責任なことは言えない。

いいことなんて起こらんかもしれんし、ずっと状況は悪いままかもしれん。
救われへんかもしれん。
死ぬことでしか救われへん場合もあるかもしれん。

もしかしたら別にいま悪いことが起こってるわけでもないかもしれんし、すべては捉え方の問題で、自分が目の前のものごとをネガティブにしか捉えれんくて、実は恵まれてるのになんかやるせなくて、そんなふうにしか考えれない自分最低やし死のうって場合もあると思う。

ウケ狙ってるとかではなく、この「頑張っても捉え方を変えられへん」っていうのは、本人からしたらだいぶしんどいと思う。

だから、どんな状況でも、どんな心境でも、いまこの瞬間に死なずに生きている人、おつかれさまです。

ちょっと思いついたことがあるので、まだ死ぬまでに時間があれば読んでください。
死についてあれこれ思いを巡らせているあなたなら、もうとっくにこういうことも思ってるかもしれませんが、
「死にたい」って瞬間ほど、自分がいま生きていることを実感する瞬間はないんじゃないかと思う。

お風呂あがりに飲むキンキンに冷えたビールより、
真夏の部活から家に帰った時のクーラーより、
久しぶりに帰省した時のお母さんの味噌汁より、

近所の桜の木につぼみを見つけた春より、
耳を塞ぎたくなるくらい蝉がミンミン鳴いてる夏より、
金木犀の匂いがどこからともなく薫る秋より、
北欧よりも寒いと言われる日本の家で凍える冬より、

「いま死にたいんだ」って思いがいちばん、「いま生きてんだ」って思える瞬間だと思う。
死について考えてない人は、「生きたい」なんて思わないからね。

あなたはもうすぐ死んでしまうかもしれないけれど、誰よりも生きていることを感じて死ねるってこと、覚えておいてね。

死ぬ前にあとひとつだけ。

死ぬ前になにができるか、
じゃなくて、
死ぬ前になにをやめれるか、って考えたことある?

つまり、生きることやめる前に、なんかやめれることあるかな?って。

わたしの話を少しすると、

わたしは会社をやめた
がんばることをやめた
友達みんなにいい顔するのをやめた
笑顔をつくることをやめた
社会の役に立とうとすることをやめた
自分を思い通りにコントロールしようとすることをやめた

「生きてるの嫌だな。だって……」のあとに続くもの全部やめた

ただ食べて、寝て、うんこして、貯まったお金で遊んで。

家族と過ごして、ぼうっとして、死にたいって思ってなかった頃の自分が好きだったことをして。

そしたら、ちょっと引き延ばしてもいいかも、って思った。
なんかおもしろいかも、って。

もしかしたら、これからのわたしは、何か新しいことを始めるのかもしれない。
やめたことを、またするのかもしれない。

でもわたしは願っています。
明日か、ひと月後か、一年後か、それとも何十年後か。
あなたが死ぬその時まで、あなたがちゃんと生きられることを。
できれば少しでも幸せに。

やめたことは、またいつでもはじめられる。
でも、生きることだけは、いったんやめたらもうはじめられない。

死にたいか、生きたいか。
そんな出口のふたつしかないトンネルをさまよう前に、ぜんぶやめて、第三の出口(≒入口)からやり直すのも立派な人生だ!とわたしは思います。

そうやって、今度は物書きとして人生を歩もう、と思っています。
ちなみにいまは、貯金をちびちび削りながら予定のない毎日を楽しんでいる、引きこもりニートです。
※本記事はニートという生き方を特に推奨しているわけではありません。ご自身の責任の範囲でご決断ください。
まあ、死ぬくらいならニートしてもいいんじゃないか、とは思いますが。いや、ニートするくらいなら死んだほうがマシって人もいるかも。
それでもわたしは生きています。

読んでくれてありがとう。

小豆島の花

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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できることなら、十四歳という年齢はすっとばしてしまえるのがいい。
冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

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2 thoughts on “いま死にたい人へ

  1. komesaizm より:

    初めまして。優等生として生き、市役所に勤めて適応障害で退職。出身が大阪。その後は物書きとして暮らしたい。僕はネットビジネスに手を出しましたが、重なるところが多くて、共感しました。
    自分を今、欠陥品だと思い詰めて、人付き合いを断ち、優等生だったころが嫌なのに今の自分にも我慢ならないジレンマが、ほどける思いで読ませてもらいました。
    見ようによっては、勤めて貯めたお金を使いながら、好きな事をして食べていこうとしている、何も悪いことではないのですが、優等生の癖が抜けきれず。。
    ありがとうございました。また読ませていただきますね。32歳ニート?なりたての者より。

    1. mihirohizuki より:

      komesaizmさん
      はじめまして。コメントありがとうございます。
      このようにコメントをいただけると、「世界が窮屈に感じるのはわたしだけではないんだ」と勇気をもらえます。
      特に日本は、フツーのサラリーマン以外の道が限られすぎている気がします。
      社会人になってからの新しい出会いの場は、なんだか怪しいところばかりだし、自営業や個人事業主の人たちとも、なんだかノリが合わない。
      でもきっと、「優等生」をしてきた自分が自分を縛っているんですよね。
      わかってはいるけれど。。。
      まだまだ模索の道は続きそうですが、とりあえず「食いつないで」さえいれば、社会から免罪符をもらっていると思えるかも。

      「死ぬまでは、生きる」がテーマです。笑
      またよろしくお願いします。

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