死にたいのに死ねない、わたしたち

「死にたい」だとか、「つらい」だとかをわざわざ記事にするのは、正直なところちょっとためらいます。
本当にいっぱいいっぱいだった去年は、そういうのをなんとかここで吐き出すことで自分を保っているようなところがありました。

けれどそれはあくまで自己満足に過ぎないし、読者のみなさんのためを思った行動ではなかったから。
まれに「共感した」とお言葉をいただくこともあり、それはそれで結果的にはよかったのかなと思うこともありますが、というかそういう時は浄土に行きかねないくらいうれしいのですが、やっぱり書くときに読者の方を思っていないと、それは物書きとしてのブログじゃないだろう、と今では思っています。

客観的に落ち着いて書ける内容に絞っているといいますか。

けれど、最近あまりこういう内容を書いていなかったのと、自分の状態がこの一週間弱、すこぶる悪いのとで、ちょっと整理的な意味もこめて状況を書いてみます。
恥ずかしい奇怪な行動も多々ありますが、一応勇気を出して(自己満足的な、ですが)書きますので、同じような状況の方がもし少しでも共感していただけると嬉しいです。
どんなに悪い状況でも、一人ではないと知るだけで、だいぶ違うもんだと信じているので。
それは「孤独」ということとはまた別ですが。

最近の状況

1,夜にホラー的夢を見る

ここ一週間の夢で一番怖かったのが、寺巡りをしていて、寺の入口からスマホで写真を撮ったら、境内から大量の怨霊がこっちに向かっているのが写ってた、ってやつです。
あんな夢をみるくらいなら、眠りたくない。
夢を見ない夜なんてないです。それも超ド級のアクションホラーものばかり。

2,泣き叫ぶ。暴れる。

これは、三日間続きました。
とつぜん、です。わけがわかりません。
混乱しまくって、母と妹に取り押さえてもらって、なだめてもらって、四日目の晩に薬を飲みました。
三月に心療内科でもらって余ってたやつ。
たぶん、余ったやつは捨てなきゃいけなかったと思う!
鞄の分は捨てたのですが、家の戸棚の分が余ってました。

3,一人になれるところに来た

家族に迷惑をかけてしまうので、ひとまずひとりきりになれるところに来ました。
親戚の空き家です。
ひとりになりたかったわけではないけれど。

4,無限に食べている

なんということでしょう。
昨年の末くらいから、ストレスは食べ物を詰め込むことで解消するクセがついてしまいました。
添加物の含まれるものを、自己破壊的にがんがん食べてしまうので、アトピー持ちのわたしの手は今、キーボードを打つのもつらいくらいに、あかぎれだらけです。でも病院にいくものだるい。

加えて、最近母娘三人揃ってダイエットを始めたのに、わたしだけが意志を保てないままに、まるまるしていきます。
そこから、「今ニートなのに」「なにひとつ頑張っていないのに」「誰の役にも立っていないのに」「ダイエットさえも頑張れない」という、目も当てられない謎のネガティブループに絡め取られる事になります。

「じゃあ食わなきゃいいじゃん」という冷たい目線がさらに傷をえぐります。
このままじゃ、過食症とか拒食症になるんじゃないでしょうか。
どうなんでしょうか。

5,本が読めない

いや、読んではいます。
家族の中では、いちばん読んでいるとは思います。
ただ、内容がうまく頭で形を成さなくなっているので(これなんでなんやろう)、読むのが疲れます。
そして、あまりわくわくできない。
本を楽しめなくなる=人生が楽しめなくなる、くらいの人間なので、楽しみたいのですが、「楽しむ」っていうのは自分の心がけでどうにかなるもんでもないようです。

どうしてこんなにも死にたくなるのか

今思いつく順に、そして経験則的に考えてみます。

1,生理前である

PMS(月経前症候群)というのがあり、生理前には頭痛や腹痛、腰痛、空腹などの身体症状に加え、イライラ、だるさ、無気力などに襲われます。
女性の七割くらいがなんらかの形でこの症状を感じるといいますが、わたしの場合はいつも精神症状が強く出ます。そんなこと言われても、毎月二週間くらいこんな状態になるのは、「ああ、生理前でしょ」のひと言では済ませません。
それに、それに関係ない時期にも出たりするので、原因はこれだけじゃない気がします。

2,考えすぎ

もう「考えすぎ」の代名詞のような存在になりつつあります。
人の心を読んで適切な行動を取ろうとすること、
何気ないニュースの背景に思考を巡らせすぎること、
未熟な状態で哲学的領域にしばしば足を突っ込んでしまうこと。

けれど、こういう人間にとって「深く考えるな」は無意味なアドバイスです。
残念ながら。

3,頭のなかで正面衝突

上とちょっと似ていますが、ネガティブに思考を絡めとられそうになった時、頭のなかで
「どうしてそんなふうに考えてしまうのか」
「果たしてそれは本当に悲しむべきことなのか」
「思い込みではないのか」
「実は自分は『ふさぎこんでいる自分』になりたいんじゃないか」
「どうしたら物事のいい面を見られるのか」
などなど、あらゆる側面から考える努力をします。

普段ものを書いている時、ものごとは捉え方次第だ、ということを念頭においているので、それを自分のケースでも応用しようとします。
その結果、爆発します。
外から見ると黙っているようで、脳内会議が炸裂しているのです。
そして、わたしには「決定力」という力が不足しています。
だって、誰の言い分もそれなりにわかるんだもの。
小説では、みんなの言い分を平等に扱えるのでいいですね。
とにかく、頭がパンクします。
大量のエネルギーを消耗しながら。

4,絶対に何が何でも生き抜いて、叶えたい目標がない

「あれ、小説家はどうしたんだよ」と言われるかもしれません。
ただ、それは「生きるとしたら、文章を書くということで人生を埋めたい。というか書かないと生き続けられないのでそうせざるをえない」という感じになります。
わかりにくくてすみません。
つまり、生きている限りは書きますが、今日死んでも特に悔いはありません、ということ。

5,逃げたい

やっぱりね、逃げたいんだと思います。こんなに逃げたあとに言うのもあれですが。
評価されること、
人間という社会システムに組み込まれていること、
完全には断ち切れない人間関係
孤独
肉体を持つことの煩わしさ(呼吸とかあかぎれとかダイエットとか)

そういうことがつきまとうことに、二十六年で疲れてしまった感はあります。
日々入ってくる情報もすごいし、シャットアウトしようとすると、自分の中の会議がうるさくなってくるし。

それでも死ねないわたしたち

わたしのような、贅沢な環境で「死にたい」なんて思っている人は少ないかもしれませんが(本当に、わたしは恵まれているのにどうして……の無限ループ突入)、「死にたい」人は案外少なくないようです。
それでも彼らが、わたしたちが死ねないのはなぜか。

1,家族や恋人がいる

優しいんですよね。ほんと。家族って。
この人たちにこれ以上迷惑をかけるわけには行かない、と自殺を試みようとしたりするんですが、それでもこの人たちの人生に「影」のようなものを落としてしまうことになるのかもしれない、と思うとなかなか一歩踏み出せませんね。
同時に、家族はあくまで他人であって、彼らの人生はわたしの人生と交じることはあっても沿うわけではないんだ、と思うと、とてつもない孤独感に襲われます。
ちなみに恋人はいませんね。

2,怖い

死ぬのが怖いんですね、やっぱり。
どんなに確実そうな自殺方法を調べても、失敗の確率や、その痛みを思うと、できなくなってしまいます。
死ぬのも怖い、生きるのも怖い、八方ふさがりです。

その他のことは、特に理由にはなりません。
銀行口座にあるわずかばかりの貯金のこととか、まだ食べていないスイーツのこととか、まだ読んでいない本のこととか、そういうのは「これからも生きる」という前提があるから気になるのであって、死んでしまえば関係ありません。

というわけで、死んでしまいたいのに死ねないわたしたち、というかわたしのことを書いてみました。
死ぬことを考えていろいろ調べていると、世の中にはこんなにも死にたい人がいるのか、とちょっとびっくりしてしまいました。
周りの人は、なんとでも言います。というか、なんて言ったらいいかわからないので、とにかくいいように言います。
「今はそういう時期」
「いいことも悪いことも長く続かない」
「やりたいことをしたらいい」
「好きに生きて」
「死にたいって思って生きても、楽しいって思って生きても同じ一生だよ」
彼らは、あくまで好意でこれを言ってくれています。もちろん、心ない言葉を浴びせる人もいますが、彼らも人間なのでいらいらすることもあるだろうということで。

しんどい理由をつけてみる

なんだかんだで、理由なき憂鬱が一番しんどいものです。
矛先が全部自分に向いてしまいますからね。
だから、そういう時は外に理由を作ってしまいましょう。
「雨だから」
「あかぎれができているから」
「お腹がすいているから」
「テスト前だから」
「好きなパンが売り切れていたから」
なんでもいいです。
そのせいで自分は今へこんでいるんだ、という理由を見つけます。
というか、決めてしまいます。人を理由にすると、争いになりかねないので、それ以外がいいかと思います。

もちろん、こんなことは何の解決にもなりません。
その事象が解決したにもかかわらず、相変わらずしんどさは続くかもしれません。
「そんなふうに問題を先延ばしにして、目をそらすことに何の意味がある?」とか言ってくる頭のいい人もいるかもしれません。
そんな時はこう言ってやりましょう。
「だったら、わたしが人生の無意味さについて悩んでいる時に、お前が意味をくれるのかよ」と。

もし、「俺がお前の生きる意味になってやるよ」とか言ってきたら男前ですね。

話がそれました。

自殺をしたくてもできない人にとって大切なのは、「とにかく今日を乗り切ること」だと思っています。
何かのせいにしてもいい。
楽しく過ごそうとしなくてもいい。

とにかく今日一日を乗り切ることで、死ぬ瞬間に一日近づいたと思えばいいのです。

書いているうちに、ちょっと整理できてきました。

こんなやつでも生きてるんやと思って、今日も一日乗り切ってください。

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2 thoughts on “死にたいのに死ねない、わたしたち

  1. Hitomi Kubo より:

    毎日の果てしない思考を一度この文章に落とし込まれたんですね。またこれから変わっていったときの文章も読んでみたいです。
    私も鬱なんだろうなと思う時期がこの間まで続いたので、少し似たような状況にありました。
    毎日、自分でも説明しきれない罪悪感のような感情との闘いなんじゃないでしょうか。

    不調の原因は、食べ物、睡眠、日光、幼少期の経験、いろいろ言われますけども、なんとなく、千尋さんは日本の社会の悪いエネルギーを敏感に受け取ってしまう人なんじゃないかなって、勝手に想像しました。

    たまたま調べました。世界や日本を本当は誰がどう作ってきたのか。
    今の世界と日本の構造は人間がしんどくなって当たり前の仕組みだということがわかりました。
    それが正当化されているせいで多くの人が苦しめられています。

    私もそのひとりなんだ。
    そう気付いたとき、回復のきっかけになりました。

    なにも参考にはならないかもしれませんが、私もここに書くことで整理させていただきます。

    1. mihirohizuki より:

      くぼちゃん、コメントほんまにありがとう。
      そうやったんやね。
      世界の構造はそうなってるのかあ。
      結局のところ、生命体としてのわたしたちは、世界の流れみたいなもんにいかに順応できるかで生き残れるかが変わるんよな。
      その世界がいいものであれ、悪いものであれ。
      もしかしたら、長く続く流れこそがいいもので、それについてこれないものは悪なんかもしれん。
      そういうことを、悶々と考えたりする。笑
      それでも思考ストップして、ロボットみたくはなれないんだなあ。

      くぼちゃんみたいに、ちゃんと考えて感じ取ってる人は確かにいるんだと、勇気づけられます。
      誰かを勇気づけようと思った文章で、逆に勇気づけられてる。
      ありがとう。
      また書きます。

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