ヘアドネーションって何だ? 〜寄付行為についての考え方〜

ヘアドネーションって何だ? 〜寄付行為についての考え方〜

「ヘアドネーション」という言葉をご存知でしょうか。
直訳すると、「髪の寄付」。

日本で髪の寄付活動をしているNPOで、Japan Hair Donation & Charityというところがあります。

Japan Hair Donation & Charity(通称 JHDAC ; ジャーダック)は、頭髪の悩みを持つ18歳以下の子供たちに、100%寄付された髪の毛を使って『フルオーダーメイドの医療用ウィッグ』を作り、無償でプレゼントしている、日本で唯一の特定非営利活動法人です。(JHDAC公式サイトより

今朝、前々から伸ばしていた髪を一気に切ってきました。
人生初の、ベリーベリーベリーマッチショートです。

ヘアドネーションとは何なのか?
どうやって寄付するのか?
提携美容院は?
などについては、JHDAC公式サイトでめちゃめちゃ詳しく書かれているので、そちらをご覧ください。

今日のブログは、これを見てヘアドネーションを知って、ヘアドネーションなりその他の寄付行為、ボランティアなりを「やってみよっかな」って人が一人でもいらっしゃれば嬉しいと思い、書きました。

ヘアドネーションをしようと思ったきっかけ

ヘアドネーションを知ったのは、One DirectionのHarryが、髪を失った子どもにウィッグを作る組織に自身の髪を寄付したのだ、と妹に聞いたこと。

彼の行為のおかげで、髪を寄付しようと思った人がぐんと増えたはずです。

ちょうど髪を伸ばしていたのと、わたしは人の二倍くらい髪の量があるので(本当です)、一年間くらい美容院に行かずに伸ばしていました。

寄付ができるのは31cm(正確には30.48cm=12インチ)なので頑張って伸ばしていたのですが、ついに今日、猛暑の中でロングヘアを抱えて生きることにすっかりうんざりしてしまい、美容院に行きました。
めちゃくちゃ短くなりましたが、ぎりぎり31cmでした!

寄付やボランティアについての考え方

ヘアドネーションのみならず、寄付行為やボランティアについては、議論が分かれるところでもあります。
献血などは広く受け入れられていますが、震災時のボランティア活動には、非難の声が向けられることも少なくありません。

社会を均すこと

わたしは、寄付やボランティアは、自然災害や病気、障がい、現状の社会の仕組みで手が回らない、などの理由のために社会に存在してしまう「不可抗力的な不均衡」を均すための行為だと考えています。
努力不足や考え方の違いなんかは、それもその人の生き方だと思うのでぜんぜんオッケーだと思います。
が、そうでもないのに社会において「ハンディキャップ」を背負わざるを得ない人たちがいます。

「人は生まれた時から不平等なんだよ」とおっしゃいますか?
それはあなたがとても恵まれているか、ひどくひねくれているからでしょう。
別に寄付を強要したりはしません。楽しく生きてください。

ただ、それを均す努力をしないことは、社会をよりアンフェアな世界にしてしまっている気がするのです。
それは何か金銭や物品を提供したり、労働を必要とするものばかりではないと思います。
広い意味でざっくり言うと、お年寄りに席を譲ったり、共働きのお家の子どもの面倒を見たり、疲れたお母さんに代わって(当番ではないけれど)洗い物をしてあげたり、そういうのも含まれる気がします。

要は「思いやり」です。
それをする側にも、受ける側にも、明確な線引きはない。

偽善ではないか

寄付やボランティアをするとき、「偽善」という言葉がよく使われます。
「自己満足だろう」
「心のなかで相手を見下している」
「余計なお世話」
などなど。
特に、こういうふうにブログやSNSで書いたりすると、余計に言われることも多いでしょう。
震災時のボランティアでは、この傾向が顕著でした。

けれど、こういう時にわたしがいつも思い出すある人の言葉があります。
高校3年生の時、通っていた塾で現代文の先生が言っていた言葉。

「偽善だって言う奴もいるだろう。でも、そうやって人の行為にいちいちケチをつけて言葉で攻撃して結局は何もしない人と、例え偽善や自己満足でも、実際に行動して何かをした人、本当に相手にとって役に立ってるのは確実に後者なんだよ。だから胸張って寄付やボランティアをしたらいい。心はどうであれ、結果はちゃんとそこにあるんだから」

この言葉を思い出すと、自分の中に自己満足や傲慢さが隠れていないかということにびくびくせずに思い切って行動できます。
だって相手に届くのは、なんだかんだ言って行動した時だけですから。

わたしが寄付やボランティアをするときに心がけること

それでも、寄付やボランティアで人生が構成されるわけではありません。
わたしなりに心がけていることがいくつかあります。

しんどくない程度にする

例えば、一万円寄付しろと言われても、今のわたしにはできません。

例えば、わたしは献血をすると、具合が悪くなるので、調子のいい時しかしません。

こういうことです。
自分がしんどい思いをして寄付やボランティアをすると、そのしんどさに見合うだけの何かを人は期待します。
人は欲深く、その「欲」こそが人を人たらしめているのですから。(たぶん)

その点、髪の毛は放っておいたら伸びるし、切るときに痛くもかゆくもないので、これが人様の役に立つなんてね!!!という感じです。

見返り、感謝を求めない

上記と関連しますが、「自分はこれだけやってあげたんだ」とか、
「相手はきっと喜んでくれるだろう」と期待しないことです。
結果として喜んでもらえればそりゃ嬉しいですが、はじめからそういうのを期待してやるのはお門違いです。受ける方もありがた迷惑です。(というのは言いすぎかもしれません)
もともとあるべきではない不均衡を、ちょこっと均すだけなのですから、ある意味で「やって当たり前」「均せる機会があることに感謝」ぐらいの勢いです。

だからこそ、自分が負担感を感じるほどにやってはいけないのです。
負担感は、仕事だけで十分です。

行為を美化したり、他人に押し付けない

寄付やボランティアをファッション的に美化すること。
まあこれが悪いこととは言いませんが、わたしは個人的にあまり好きではありません。
他の人にその存在を知らせること以上の報告は不要だと思っています。
そして、やるかやらないかは本人次第なので、「やったらどうですか?」的なのもなし。
やる人はやるんです。知ってるか知らないか、それだけのこと。

予想外にいいことがいっぱいありました

見返りを期待しない、と書きましたが、実は今日だけでいいことがたくさんありました。

1,美容師さんがむちゃくちゃかっこよかった
わたしよりひとつ歳下だったんですが(この年齢になると、こういうことがよく起こります。社会人が歳下、なんてことがね)、めっちゃいい人でした。
なにより、会話の距離感が最高。
当たり障りなく、かつ退屈ではない話。
世の中には、当たり障りなくつまらない話をする人と、当たり障りあって面白い話をする人と、当たり障ってくるくせにつまらない話をする人の三種類しかいないと思っていました。
美容師さんという距離感が、心地よい。
いい時間過ごしました。

2,パンがちょうど108円セールやった
お昼に入ったパン屋さん。ちょうどセールやったんです。
勢い余って山ほど買ってしまいました。
そうです。わたしは「ええ! カロリー半分やったら、二倍食べてもいいってことやん!」ってなるタイプの人間です。

3,スイカが安かった
スイカが何にも増して好きです。
日本列島が夏に出荷するスイカのうちリアルな数字で言って0.04%ぐらいはわたしの腹に収まってると思います。ものすごい低金利みたいですが、玉数にすると結構な数になるんちゃうかな。
けど、最近食べてませんでした。
近くのスーパーのやつが高くて。
手が出なくて。

でも今日、「ええい、今を生きるって決めたのに、何を躊躇してんねん!」という謎の臨界点を迎え、スーパーに行ったところ。
めちゃくちゃ安くなってたんですね。大きな大きなスイカが。
ほら。
スイカ

これを二玉買いました。
店員さん、車まで運んでくれたし。
本当に、世の中は素晴らしい人であふれています。
彼らを取り囲む「組織」や「システム」がおかしな方向に行くときがあるだけで。

髪を寄付する機会があったおかげで、いろいろ考えることができました。
いいこともいっぱいあって、神さまっていてるんやな、と。

髪を切りました、という話でした。
すっきりしました。
これでもう、首周りのあせもの心配が減りました。

ちなみに切った髪。
これを封筒にがさーん!入れて、郵便で送ります。
何らかのアクシデントで封筒が破れると、ちょっと怖い感じになるので、気をつけましょう。

ヘアドネーション