自分の幸せを受け入れるのが怖いことがある

わたしは恵まれている、と感じることがあります。
例えば、こんなことに思い当たったとき。
- 毎日おいしくて温かいご飯が食べられる。
- 安心して家に住むことができている。
- 両親が揃っていて、家族の仲がいい。
- 健康な肉体を持っている。(人はみんな、多かれ少なかれ精神を病んでいると思います)
- そもそも日本に生まれたこと。
こんなふうに、自分の幸運をあげていくと、きりがありません。
でもこの記事は、決して恵まれ自慢なんかの記事ではないです。
幸せをそのままの形で受け止められない
わたしは、「自分がこの幸せに値しない人間なのではないか?」と罪悪感に似た感情を抱くことがあります。
わたしはここにいていいのか?
明日のパンを心配しなければいけない人をよそに、だらだらと日曜日を過ごしていいのか?
ちゃんと、誰かの役に立っているのか?
そして、いつかきっと自分には罰があたるんだと思うこともしばしばあります。
そうなると、わたしの中にあった幸福の感情はどこかへ消え去り、客観的な「幸福的事実」だけが残ります。
非常にもったいない状況ですが、そう思わないわけにはいかないのです。
先日、お気に入りのカフェに一人で行った時のことです。
わたしは4月に会社をやめているので、平日の午前にカフェで優雅に過ごすこともできます。客観的事実だけを見れば。
けれどそこで美味しいカフェラテを頼み、かわいい北欧国旗柄のしおりが挟まった本を開き、居心地のいいソファに座っていると、落ち着かない気持ちになります。
もちろん、これからどうしようとか、自分への自信喪失、倦怠感はあるにはありますが、それとは別に「わたしには、こんなふうに静かで平和で贅沢な時間を過ごす資格なんてないんじゃないか」というとろくでもない思いが頭にこびりつきます。
小さなころから、幸せであればあるほど不安でした。
その幸せは、いつか何の前触れもなくわたしから取り上げられてしまうのだ、と信じて疑わなかったのです。
そしてその思いは今もあまり変わっていません。
自分の好きなように生きることが苦手で、ようやくそれができたと思ったら、今度はそれに不安を感じ始めるのです。
幸せを受け入れる器ができていない
この不安感は、今の自分にはその幸福感が入る余裕はないのだから、と幸せを拒否してしまうことで起こっていると思います。
自分のことを自分で認めていないから、幸福を感じるのを先延ばしにするのです。
いくらかでも不幸を感じていたら、ダメな自分をそこに逃げ込ませることができますから。
そうして、最悪の場合はおそらく一生、自ら幸福を遠ざけて生きていくことになります。
そんなのいやだー
でも、幸せを感じることは、心の強さも関係している気がします。
自分にはその資格があるんだ、と信じること
同じ状況下で、幸福をちゃんと感じても、勝手に罪悪感や不安感を持っても、結局は同じことです。
わたしには、温かいごはんと、安全な寝床と、家族がいる。
だから、こう思うようにしています。
「大丈夫。わたしには、ちゃんとこの幸せを幸せと感じていい資格がある。それは人間が左右できないような運のようなもので決定されたことだし、幸せを拒否するよりも、幸せをちゃんと抱えて生きていけるほうがいいに決まっている」
そんなふうに、少しでも誰かの役に立っていないと落ち着かない、あるいは何もしたくなくなって一人横になり、罪悪感を感じ続ける自分自身を、慰めています。
人間、いつも幸福でいられるわけではありません。
悲しいときにちゃんと悲しみ、
怒るべきときに怒れる人であるために、
「幸せだ」と感じる心は殺してはいけないのだと思います。
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ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。
文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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