本屋さんに住んでみるなんてイベントが催されるようですが。

少し前に、こんな企画がありました。

秋の読書週間まっただ中!「ジュンク堂に住んでみる」モニターツアー参加者募集
今見ると、応募終わっちゃってますね。

場所は私の住む街から遠く離れた東京ですが、もちろん応募しました。

一応その日は空けておいて。
ペアで申し込まなきゃいけなかったから、勝手に妹の名前借りて。(当たったらラーメン食べに行こうだとかなんとか言って連れだそうと思っている)

先日、仕事先で「本屋に住みたい」みたいな話で盛り上がったところだったので、ちょっとびっくりしました。

わたしは、本屋に住みたい。

まだ誰の手にも触れられたことのない本たちが、今か今かと運命の出会いを待ち望んでいる。

人間の方も、平積みされていたり、棚に並んでいたりする本をふと手にとって、それが運命の出逢いなのかどうかを吟味したりする。

そこには思いがけない発見があって、それはその時どきによって並んでいる本も違うし、自分の状況だって違う。

だから、その日自分が手に取って買った本は、一期一会の出逢いなんですよ、きっと。

買いたい本が決まっている時は、ネット通販でもいい。(電子書籍は好かん)

持って帰るの重くないしね。

でもそれじゃ、あんなふうな偶然の出逢いはない。

本屋に行く時のあのブラックスワン的に現れる傑作が好きだ。

お前との出逢いは、偶然ではなく必然だったのだ!とさえ思う瞬間。

その本を持って帰る時の確かな重み。

けれど、その出逢いの必然性が確信に変わり、感動をもたらすのは、家に帰ってその本を開いてからだ。
そして読み終わるまで、それはわからないのだ。

本屋に行って、本を手にして、本を買って、それを持って帰って、机に並べて、そしてすっかり最後の1ページまで読み終えてしまわなくては、わからないのだ。

それははかなくて切ない、不可逆的でストーリー性のある体験だと思う。

だから、私は本屋に住みたいと思う。

本屋はその体験を、終わることなき無限の体験として私に与えてくれるから。

けれど。と、私は同時に思うのです。

ずっと本屋さんに住んでいたら、きっと本に触れることの昂ぶりも、限られた数の本を持って変えることの愛おしさも、本を読み終えてしまうことの初恋のような切なさも、きっと感じられないのだ、と。

限られた存在である私たちは、限られた何かを大切にして生きていくんだと思う。

そうして家の机に並べられた本たちは、本屋にいた時よりも嬉しそうだろうか、魅力的だろうか、否か。

買ってきた人間から言わせてもらうと、こんなにも素晴らしい光景は他にないんじゃないかと思うけれど。

本屋に住む

※今年の春に安西水丸さんが亡くなったそうです。
恥ずかしながら旅行中でそのことを知らず、このような追悼記念的な本を目にして知ることとなりました。
村上春樹さんや和田誠さんとの共作についてのコメントも多々あり、購入に至りました。
この本を広げることにワクワクしています。不謹慎かもしれないけれど、彼の生涯の一部を垣間見られるかもしれない、と。
ご冥福をお祈りいたします。

本屋から帰るたびに、私はこんなふうに机にずらりと本を並べて、何をするわけでもなくニヤニヤするのだ。
えへへ。

あ、そうだ。
そういえば昨日、近くの図書館から両手いっぱいの本を借りてきたところだったな、と苦笑するのです。

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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できることなら、十四歳という年齢はすっとばしてしまえるのがいい。
冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。

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