信じる力と疑う力。映画『PK』から宗教と人間についてを学ぶ。

ヒンドゥー教

ひとり遊び、というのを最近覚えました。
ひとりカラオケ、

ひとり岩盤浴、

ひとりめし。
昨日、そのなかでもレア度の高い「ひとり映画」をしてきました。

混雑した電車に揺られ(この時点で嫌になってきた)、大阪ステーションシネマに辿り着いたのが13:30。
あそこ、11Fへのアクセスが悪すぎます。

夕飯までには家に帰りたいなぁと思ったので、14:30からの『PK』という映画をチョイスしました。
こういう、ハリウッドでも邦画でも韓流でもない映画がわりと好きです。

最近(?)ので言うと、スウェーデン映画の『シンプル・シモン』もよかった。

でも、そもそもあまり映画は見ないので、すべてが奇跡の出会いです。

最近こういう本の読み方してないなぁ。
さて、肝心の内容です。

この記事では、ネタバレはしませんがざっくり説明すると、こんな感じ。

テレビ会社で働く女性の前に、黄色いヘルメットをかぶってあらゆる宗教の飾りを見に付けた奇妙な男が現れる。彼は「神さまが行方不明」のチラシを手当たり次第に配っていた。
ネタになると踏んで彼を追いかけ始めた彼女。

なぜ彼は神さまを探しているのか?

男と関わるうちに、彼の持つ世界に対するユニークな常識をくつがえす見かたに驚かされ続けることになる。

[blogcard url=”http://pk-movie.jp/”][/blogcard]

奇妙な男、大好きです。

常識からぶっ外れてるのがよくわかります。

結論からいうと、めちゃくちゃよかった。

まず、「我々はあらゆる個人、宗教団体を傷つける意図はありません」的な注意書きからはじまります。
今どきの映画は、窮屈な世相を反映して保険をかけるようになったのかな、と思いました。

でも話が進んでいくとわかる。

この映画、人々の宗教観ってやつを根底から揺るがします。

地球外から来たPKが、仏教、ヒンドゥー教、キリスト教、イスラム教、様々な宗教に触れ、疑問を発していく。
信仰は人々に希望を与えるかもしれないけれど、宗教によって当然ながら教えは違う。

盲目的に何かを信じることが、どれだけ危険かを気づかせてくれる。
最後の方の展開は少し力まかせな気もしたけれど、ただのハッピーエンドラブストーリーじゃないところがよかった。

本音と建て前。

真実と、真実に見せかけたもの。

争いと平和。

それらが、様々な宗教を通してコミカルに描かれています。

所々にダンスと歌が織り交ぜられて、まったく飽きることなく2時間半があっという間でした。

生き方の指針がない時代に、信じる何かがあることは生きる希望になる。
けれど、そこにしがみつくあまりに排他的になったり攻撃的になったり、あるいは思考停止に陥ったりするのもどうなのかなぁ、とPKは言ってくれている気がします。

目をかっぴらいて世界を見よう。

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ことば、文字、文章。 それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。 文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。 そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。 私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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