年賀状販売をして思う「用事もないのに連絡する」こと

年賀はがき

今、年賀はがきの販売アルバイトをしています。

もともとは、家に入っていた年賀はがき仕分けのバイトに応募したことがきっかけです。

仕事辞めてしばらく経ったし、これならしんどくても一ヶ月ちょっとやし、高校生のときにやって余裕やったし(私の高校はバイト禁止だったので、これはオフレコで)、人と喋らなくていいし。

<面接にて>
偉い人「あー。例えば年賀はがきの販売とかいける?」

わたし「はい! いつでも、なんでも、喜んで!」←これ、わたしのほんとうに悪いクセ

そういうわけで、販売のほうに回ったんですね。

ものすごーく寒い場所で、日に三時間、あるいは六時間か七時間(休日)立っています。
あ、わたしってわりと接客できるんだと気が付きました。

そして、すでに三回風邪をひきました。

思うのだけれど、年賀はがきなんて買う人は買うし、多めに買うわけでもないのだし、わざわざこんなたくさん出張所作ったり、声張り上げたりしなくても良いんじゃないかと思う。

人件費、まったくペイできていない。

まあそれはおいといて。

年賀状を出す意味

年賀状を出す意味
年賀状って、すっかり出さなくなりました。

あまり人に会っていないってものありますが、わざわざ年賀状を出すほど近況をお知らせしたい方がいらっしゃらない。
向こうもわたしの近況なぞ知りたいと思っていまい、とか思ってしまう。

SNSで新年のあいさつを交わすこともほぼない。

たまに、昔の友達からふっと連絡が来たりして、「いや、用はないけど」とか言われると、何の用なんやろって思う。(いやだから用はないと)

嫌なわけじゃないし、むしろ用もないのに思い出して連絡くれるとか嬉しすぎるねんけど、でもやっぱり「なんで思い出したんやろ」とか思う。
めんどくさいですよね。

年賀状ってその究極と思ってて、両親が年賀状を出しているのとかを見ると、もう何十年も会ってない人とかと交換してる。

「旧年中は大変お世話になりました」
とか、いやもう何十年も会ってませんがな、ってなる。

そしてひとことコメントは、だいたい「お元気ですか?」のみ。

これ、意味あるんかなって思う。

もうほぼ交流ないし、会おうと思えばいつでも連絡できるのに、それでも年賀状をなぜ出すのか。

年賀状をやり取りすることで、なにかしら次のワンアクションを起こさなあかんと思ってしまって、ためらう。
リストにせなあかんほどたくさんの人とやり取りして、元旦になってその人に出したかどうかも覚えてなくて、リストと照らし合わせて自分が出してない人に返事書いて。

これ、毎年年末年始めっちゃ時間の無駄遣いやんって、思ってしまう。
それでも、郵便局がまだ28億枚も印刷するほど需要はあって。

こんなことを書いていると、わたしってめちゃくちゃ社会的に無礼な人間なのではないかと思えてきた。

社会的に無礼で、社会的価値もなくて、早晩友達が一人もいなくなって、孤独に死んでいくんやわ。

どうして年賀状を出さないか

どうして年賀状を出さないか
で、結局なぜ年賀状を書かないのかというと、「めんどくさい」からなんですよね。
別に書かなくても何も問題ない。

年末年始の慌ただしい時に、そんなことにできれば時間を割きたくない。

それも、何の用もなく、今年頻繁に会ったわけでもない人たちに、52円+手間をかけて年賀状を送るモチベーションがわかない。

そういうわたしみたいな人って、いないわけではないと思うんです。

だから、年賀はがきの発行枚数が減ってるわけやし。

特に、わたしが対面で販売している「家のパソコンで印刷する、裏がまっしろのタイプ」の需要は目に見えて減っています。

だって、正直ネットの印刷屋に頼んだほうが、クオリティも高いし、失敗もないし、楽やし。結果、安上がりやし。

それでも、わざわざ家のプリンターで一枚一枚印刷する人もたくさんいる。

たまに全部手書きの人もいる。(すごすぎ)

年賀状を書く人はすごい

思いやり
前に、「ちゃんとした大人は年賀状を書こう」みたいな広告が、物議をかもしたことがあります。

年賀状を書くのが「絶対のマナー」、的な。

こんなふうに、価値観を一方的に押し付けるやり方はスマートじゃないし、やり方も古臭い。

いろんな価値観が認められるいま、わたしのような無礼者も存在を許されるんかもしれん。

企業でも、虚礼廃止として年賀状やお中元・お歳暮のやり取りをなくしたりしているところも多いみたいです。

ただ、だからこそ余計に思います。

特に用もないのに、わざわざ連絡をしてきてくれるのって、めちゃめちゃありがたいな、と。

なんと思いやりにあふれた人なんや、と。

用があって連絡をする場合は、自分の都合で連絡をするわけです。
自分が相手に確かめたいこと、伝えたいことなどがあるから、連絡するんです。

でも用もなく、「元気―?」「どうしてるー?」の連絡って、それを発信する人にとっては特にメリットないですよね。
単純に、自分とのつながりをまだ断ち切りたくないから、連絡してくれる。

それって、めちゃくちゃありがたいことやと思うんです。

一円の得にもならん自分のことを、時間を割いて気にしてくれる。

年賀状って、実はいい文化なんかもしれんな、となんとなく思う今日このごろです。

でも本当に寒いので、来年からは年賀はがきの自販機を置いたらいかがですかね。
人件費より多分安いし、ミスもゼロやし、24時間働いてくれるし。

あ、コンビニがあるやん。

そんなわたしは、来年も来た分だけ返す式です。

今年もあと少し。
やり残しのないよう、来年気持ちよくスタートできるよう、ふんばっていきましょう。

風邪には気をつけてね。

ブログ運営者

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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