桜の名残と咲き始めの桜と、けん玉パフォーマー

さいきん、母の会社の手伝いをすることが増えた。
公務員になる前も母の会社で働いていて、公務員を辞めてからもここで仕事をしている。
わたしが役に立てることがたまたまここにあって、働き方もマッチしている。
親と働くというのはいろいろ面倒も多いし、それでもここにいる理由もたくさんあるが、その話をすると長くなるのでまたの機会にさせていただく。
今回は、昨日の仕事終わりに母と2人で、まだわずかに残っていた桜鑑賞と、今の季節だけの造幣局の通り抜けに行ったときのお話。
桜という花は、日本人にとって特別な意味を持つ花のようである。
短いあいだだけ花を咲かせ、一雨降れば散ってしまう桜。
その圧倒的な満開姿と同じくらい、その儚さに魅力を感じる人は多い。
桜は、はらはらと散る姿こそ美しいとさえされる。
今となっては多くの外国人観光客が桜を目当てに観光に訪れるようになったが、彼らの目に散りゆく桜はどのように映るのだろう。
大阪の天満から桜ノ宮までの桜道には、この時期たくさんの屋台が軒を連ねる。
惚けて桜を見上げて歩けば、すぐに何かにぶつかってしまいかねない。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
人々は宴し、撮影に精を出し、鑑賞などしていないようにも見える。
けれど桜がそばにあると、わたしたちの心の底は安堵する。そしてほんの少し、切なさが胸を刺す。
造幣局で毎年行われる桜の通り抜けは、数年前にフィンランドの友人を案内して以来だ。
フィンランドにいたころ彼女は、「桜なんてわざわざ腰を据えて見るものでもないだろうに、どうしてまた日本人は桜の時期になると大騒ぎするのだろう」と思っていたらしい。
そして彼女は日本に来て思い直すことになる。
「日本の桜は、フィンランドの桜と同じものではない」と。
そう、日本の桜はとくべつなのだ。
造幣局の桜はいわゆる八重桜が多く、通常はソメイヨシノが散った後に満開を迎える。
今年は桜が遅くまで残り、造幣局の桜とダブルで楽しめた。
八重桜たちには一つひとつ名札がつけられており、花びらもどっしり構えていてなんだか九州男児のようである。
こんなふうに、公募した句なんかも吊るされていて、まさに手塩にかけられた力士のようなものかもしれない。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
ソメイヨシノは、手紙も渡せぬまま遠くへ行ってしまった初恋の人というところか。
あるいは、散り際の潔さから武士に例えられることもある。
ちなみに、造幣局の桜の通り抜けは無料だ。
これだけ立派な桜を世話するにはずいぶん手間もかかるだろう。
警備員を雇うのもかなりの費用が予想される。
一人百円でも取ればいいものを、とわたしなんかは無粋な心配をしているのだけれど、地域の活性化のため、国民へのサービスとして、国が補助をしているのだろう。
日本語、英語、中国語で案内の放送が流れ、世界中の人たちがにこにこして自分と桜をカメラに収めているのを見ると、今も世界のどこかで戦争が起こっているなんてうまく信じられなくなってくる。
それから川に沿って歩いて少し開けたところで休んでいると、けん玉のパフォーマンスが始まった。彼の名はしげきひろし。
けん玉のプロであり、日本一に何度もなったこともあるらしく、彼のけん玉の技術は確かにすごかった。
けれどわたしが彼のパフォーマンスに夢中になったのは、彼が実にうまいトークで、よく考えてお客さんを集めていたからであり、妥協なしの公演をしたからであり、なにより心から楽しんで、けん玉を愛して芸を披露しているからだった。
ああ、わたしは彼ほどに純粋になにかにのめり込み、愛し、楽しいことだけじゃないだろうにそれでもこんなに「にこにこ」と胸をはってできることがあるだろうか、と少し恥ずかしくもなった。
わたしと母は、ごく自然な気持ちで千円ずつ彼に渡した。
大道芸で食べていくというのは、特に大道芸にお金を出す文化が希薄な日本において芸一本で生きていくというのは、けっして簡単なことではない。
けれど彼のように好きなことを極め、なにかに不平を言うでもなく目の前の人を楽しませようとしてくれる人たちが、少なくともやりたいだけ続けられるような世界を、わたしは信じたい。
きっとそれは、たくさんの人の希望になると思う。
まだ自分の夢中になれることが見つかっていない人たちの。
一生のうちで見つかれば幸運だろうし、見つからないまま一生を終える人もいる。
だからこそ、やりたいことを見つけてそこに努力する人をささやかながら応援することに、なんの理由がいるだろう。
彼には国の補助は出ない。
自分で営業し、舞台をつくり、集金もする。
彼は造幣局の八重桜ではなく、あるいは万人の注目を集めるソメイヨシノでもないかもしれない。
けれど彼の咲かせる花は、ほんとうにほんとうにきれいに見えた。
この場を借りてお礼を言いたい。
【今年は例年より長く桜を楽しめたような気がする】
【造幣局のぼんぼり桜】
【枝垂れ桜】

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
書いた人
-
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。
文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。
新しい書きもの
日々のつぶやき2021.08.06当面の間、更新をお休みします。
言葉の切れ端2021.08.03涙の存在証明[言葉の切れ端254]
言葉の切れ端2021.07.31泣いてほしくないなんて願うには[言葉の切れ端253]
言葉の切れ端2021.07.28親しい友人の死を予測すること[言葉の切れ端252]
新刊発売中!
冬に元気をなくす母親と、影の薄い善良なフィンランド人の父親を持ち、ぼくは彼らの経営する瀬戸内市の小さなリゾートホテルで暮らしていた。ある時なんの前触れもなしに、ぼくにとって唯一の友達であったソウタが姿を消した。学校に行くことをやめ、代わり映えのしない平穏な日々を過ごすぼくの生活に、少しずつ影が落ちはじめる。
『レモンドロップの形をした長い前置き』
著者:田中千尋
販売形態:電子書籍、ペーパーバック(紙の書籍でお届け。POD=プリントオンデマンドを利用)
販売価格:電子書籍450円(※Kindle Unlimitedをご利用の方は無料で読めます)、ペーパーバック2,420円