人生にどれほどの意味があるのかということと多忙であること

最近、わりに忙しい。

体力がそれについてこなくてヤキモキすることはあれど、「やること」に困らない。

まず、ジムに通いだした。

とても楽しい。

引きこもり生活でたるんだ体を目覚めさせ、ストレスも発散できる。

そして、仕事がにわかに忙しくなりだした。

おかげで、「人生とはなんのためにあるのか」とか、
「結局のところ、みんな自己満足なんだ」とか、
「人間の営みは、その他の動物の生きる領域を奪っているんだ」とか、
そういう類のことをあまり考えなくなった。

というか、考える時間がなくなった。

もちろん仕事では頭がちぎれるほど思考するし、やりがいだって求めている。
でも、「そもそも」のところで立ち止まる必要も、余裕もない。

これはいいことなのだろうか?
絶えず苦しみ、出口のない問いに悩み続けるよりは健全かもしれない。

わたしの肉体と精神は、前よりも穏やかで健やかになったように思える。

けれどそれは、必ずしも「善」ではないような気がする。

そのように目をそらされた、あるいは蓋をされた「不健全な」思考は、たぶんどこかで吐き出されることを求める。

だから、忙しい毎日を送るようになった今こそ。
意識して「不健全さ」を自分のうちに巡らせ、味わい、消化していく時間が必要なのだ。

たとえば、心をえぐる小説を読んだり。
きれいな答えのない事がらを自分の物語にしたり。

仕事とオフのリラックスタイムだけでは取り残されてしまうような、積乱雲的思考。

そんな思考にこそ、その人となりが詰まっているように思う。

まとまった時間をとって、そんな非効率的で、一見無意味な思考にどっぷりと時間を取るのもきっと悪くない。

それらに足を絡め取られさえしなければ。


コメダのソフトクリームめっちゃおいしい。

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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