じゃがいもは土に埋まってるんだよ

5月、6月はからりと晴れ、それから気温が上がり、雨が降る。
自然な流れで作物は育ち、雑草も生える。

ふだん成人した人間の成長しか見ていないものだから、植物たちの日々の変化には驚かざるを得ない。

以前、人間は一方通行の時間を歩んでいて、植物は輪っかとしての時間を刻んでいるのかもしれない、というようなことをどこかで書いたような気がする。

そのスピードはどうだろう。

目に見える葉の成長、実のなり方だけを見ると、その一生は一年で終わるように見える。
けれど木なんかは何年も何年も時間を積み重ねているわけだし、そういう意味では人間よりもゆっくりと一生を送っているのかもしれない。

そもそも、「人間」と「植物」なんて対比がナンセンスか。

農家の孫として生まれて、それなりに(片手間に)農業を手伝ってきたわけだけれども、プロとしてのおじいちゃんが失敗するところなんて、ほとんど見たことがなかった。

まれにこれまで作ったことのない、とうもろこしや、スイカなんかに挑戦して失敗することはあれど、毎年定番の作物は見事なまでに育っていたのだ。

けれども、今年の玉ねぎは失敗だった。
高齢のおじいちゃんが肥料の配分を間違えたのかもしれないし、そもそも買ってきた苗が悪かったのかもしれない。

そういえば、去年は玉ねぎの苗がなかなか入荷しなくて、気を揉んでいたおじいちゃんの姿がうっすらと記憶の片隅に浮かんでいる気もする。

とにかく、今年は玉ねぎがぜんぜん育たなかったのだ。

これはわたしたちには大変な誤算で、まぁ最近のわたしは玉ねぎにアレルギーがあるのだけれど、でも一年の大きな楽しみがひとつ減ってしまった。

頼みの綱はじゃがいも。

育っていた!
よかった。

うちの家族も、いとこの家族も、みんな楽しみにしていた。

手の爪に柔らかな土をためて、どんどん掘り進めてゆく。


近ごろ、じゃがいもが土に埋まっているのだということを知らない子どもたちもいるらしい。

それ即ち悪いこととは言わないが、そういうことを知る環境がなければ、自分がどこから来た何を口にしているのかという感覚が希薄になる気がする。

わたしがやけに「素性の知れた」食べ物を好むのは、そういうことなのかもしれない。

まあもちろん、工場より川上はブラックボックスになっているような食べ物だって食べちゃうのだけれど。

今夜はじゃがバターです。

それから、いんげんや、プチトマトや、かぼちゃや、スイカたちも頑張ってます。

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ことば、文字、文章。 それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。 文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。 そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。 私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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