文化の消滅なのか、適応なのか。〜進化と変化と劣化〜

あと半月ほどでお正月。

6人家族で、伯母さん家族も近くに住んでて、結婚した従姉妹も近くに住んでいる私の家は、
3家族でおせちを持ち寄っておかずを交換しあって、すごく豪華なおせちを作る。

女が3人いる我が家は、おかずの3分の2を担当する。
男どもは役に立たない。

思いついたように大きな荷物を運んでくれるかとおもいきや、あとはのんびりとしているらしい。

もっとも、私たちは30日の夜から31日の夜まで台所に立ちっぱなしだから、彼らにかまっている暇もない。

そうして、大晦日はおせちの味見ばかりして腹を満たす。

おせちは買うもの、という家も多いだろう。
あんなもの、一人で作っていたら3日はかかってしまう。

そもそも、お正月におせちを食べない家庭だって増えているだろう。

「家族が少なくて食べきれないから」
「好きじゃないから」
「高いから」

理由はいろいろだと思うが、おせちのおかずを難なく作れる新米主婦がどれだけいるだろう?

料理なんてできなくても、このご時世充分に食べていける。
それは、進化なのか変化なのか、それとも劣化なのか。

そうして働きぬいた女たちを労るため、元旦の朝に雑煮を作るのは男の役目だ。
父の白味噌雑煮の味付けも板についてきた。

うまく休むことのできない母は、元旦から仕事をしている。
物好きだなぁ。

昔は風呂を焚くのもひと仕事だったから、元旦は風呂に入らなかった。
元旦は、女をとことん怠けさせる日なのだ。

それは私が幼いころも続いていた。
風呂嫌だった私は、お風呂に入らなくてもいいという大義名分がある元旦が大好きだった。

家を新築した今、風呂はワンボタンで簡単に湧いてしまう。

「お風呂が湧きました」と女性の機会音が知らせてくれる。

もう風呂嫌いではなくなった私は、来年の元旦も風呂に入るだろう。

いつからだろう、元旦の風呂なし習慣がなくなったのは。

文化の消滅なのか、適応なのか。

ボタンひとつで風呂を沸かす行為は、「女性を働かせない」というそもそもの目的が果たされなくなるわけではない。

要は根本の「狙い」を見極め、それを守りたいと思うのなら、見せかけの行為に惑わされず、柔軟に対応していけばよいのだということだ。

そんなことを考えながら、明日の衆院選、どこに投票しようかと未だに悩んでいる。
見せかけの耳に心地いい公約ばかりではなく、根本の狙いを見極めた上で、投票したい。

各党いろいろと政策はあるが、突き詰めればその「狙い」は自ずとひとつに収束してくるように思える。

私は、お正月に家族とおせちが食べられる未来であればいいなぁと思う。

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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