お正月って、昔を思い出す

時間があるからだろうか

懐かしい人と飲んだり食べたりするからだろうか

普段なかなか顔を揃えない家族や親戚が一斉に集まって、私たちの小さい頃の珍業をあれこれほじくり返すからだろうか

普段は前ばっかり向いていて、いじいじとくじけているときも、下を向いてしゃがみこみながら体は前を向いている。

今のわたしを作っている過去は、いつでも私の背中を見つめている。

私が振り返らない限りは、今の私が過去の自分と目を合わせることはない。

ずっと前にいるはずの未来の私が見えないということは、後ろで今の私を見つめているように思う過去の私には、私は見えていないのだろうか。

だからあんな無邪気に飛び回っているんだろう。

とにかく、昔を振り返って、しみじみしながらしっぽりと飲んだり、バカみたいに笑いながらがぶがぶと飲んだり、飲んでばかりの正月だ。

こうして誰かと過ごして、思い切り飲んで食べて、全身の筋肉を休止させて、ひょうたんのように正月を迎えられるというのは、実にしあわせなことなのだ。

あまりに満足しすぎていると、なかなか変化へのモチベーションがわかない。

羨ましがることもなく、欲しがることもなく、だから不満に思うことも、なにくそと思うことも少ない。

凪のような状態なのだ。

もしかしたら、これは人間として踊り場のフェーズにいるのかもしれないな。

平和で規則的な毎日を好む私にとって、踊り場でぐるぐると回天しているのは、なんとも愉快なのだ。

しかし、それではきっと、生きているということにはならないのだ。

過去を振り返ると、しっかりと変化している自分が見える。

こんなにも変わる。なにもかも。

成長やら変化やらというものは、その最中にいる時にはあまりわからないものなのだろう。

後で振り返って、ようやく自分が階段の上にのぼったことを知る。

それまでは、ただ目の前の一段をのぼったり足踏みしたり、果てしなく続く階段にため息をついたりする。

だから、きっとたまに振り返ることが必要。
階段は終わりなく続くけれど、確かにのぼってきたのだよ、と。
誰かが耳でそうささやくよりも、自分の目でのぼって来た道のりを見る方がいい。

うまくそれができていると、のぼりつづけられる。
もっとも、階段をおりることが人生である人もいるし、何も考えずにひたすらのぼりつづけられる人もいる。

ごちゃごちゃとあらゆる方向に行く人を見ながら、自分はどこにすすむのか。

今まで自分が通ってきた軌跡は、それを示してくれるかもしれない。

私の場合は、一人の長い沈黙の時間の中に、過去の自分が姿を見せる。

2月か3月、すこし時間が取れそうだから、西日本の図書館をめぐる旅でもしようかしらと企んでいる。

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ことば、文字、文章。 それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。 文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。 そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。 私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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