子育ての大変さを理解して欲しいとかそういう類のこと

アベノミクスの掲げる女性活躍。

政治家たちの言うそれは、つまりは「オトコっぽいオンナの創出」ということになるのだろうけれど。

言い換えれば、「子供産んで、一瞬で職場復帰して、子どもたちは保育園預けて、会社帰りにスーパー寄って……」みたいなパワパフガールズ。

母は強い、なんて言うけれど、結構みなさん苦労している。

共働きにも関わらず、子育ての負担は自分にばかりのしかかってくる。
睡眠不足、趣味なんてもちろんできない、自分ってなんだろう……

そんな孤独なママの訴えが、あちらこちらで散見される。
それは、働くママに限らない。

子育ては24時間365日営業。

毎日が不測の事態で、自分の思い通りに行くことなんてこれっぽっちもなくて、それなのに誰に褒めてもらえることすらない。

理解してくれない夫。
たまに家事や育児を手伝ったら、ものすごいドヤ顔で賞賛を求めてくる。
そんな男たちに疲弊する女たち。

一方で、男たちの意見にも頷けるところがある。

毎日朝から晩までくたくたになるまで働き、家に帰れば妻の愚痴ばかり。

たまの休みには、「普段しないんだから」と家事や育児を押し付けられる。

どうすればいいかもわからず、妻の小言は増える。

妻も子供も愛しているし、守りたい。

けれども自分は、彼らを食って生かせるだけの財布なのだろうか……

こんな風に、お互いがお互いの言い分を主張しあって、その氷山の一角として顔を出すブログの記事なんかに随分とたくさんのコメントが付いたりして。

そんな中、「ウチはうまくやってますよ」的な人も出てくる。

子供の世話や家事なんかをリストにして、分配する人。
仕事を切り上げて妻の話を聞いてあげる心優しい夫。
自分の5分の1しか働かない夫をおだて、気をよく手伝わせる妻。
そして、時には子供に寂しい思いをさせることもあるだろう。
それも仕方ない。
パパもママも、忙しいんだから。

けれど、子供の視点から言わせてもらうと、私はそういうのにすら異を唱えたくなるのだ。

子育てと家事のTo Doリストだって?
子供は処理しなければならないタスクですか?

両親が慰めあって気遣い合って、こなすだって?
子供はやっかいな面倒事ですか?

寂しい思いもしかたない?パパとママは忙しい?
そんなこと、子供を産む前からわかっていたんじゃないのか?

こういうのを見ると、言いたくなってしまう。

「じゃあ、なぜ子供を産んだんだ」と。

子供がいなければ。
二人の稼ぎで毎週豪勢なディナーができただろうね。
月に1回の旅行だって夢じゃない。
夜中に何度も起こされることもないし、
出産のせいでママのキャリアが止まることもなかった。
両親が好きなことをする時間を邪魔する怪獣たちはいない。
いつまでも、幸せな二人でいられたんじゃないの?

それなのに、頼んでもいないのに、子供を産むという選択をしたのはあんたたちじゃないか。

子育てを悲劇の主題に祭りあげて、それを夫婦で必死こいて乗り越えて、絆が深まったねなんて聞いて笑える。
子育ては、自分が一番成長できる機会だなんて言う。
波瀾万丈な物語の主人公にでもなった親たちを横目で見ながら、彼らが傷つきながらミッションをこなしていくそばで一番傷つくのは誰だと思う?

そんな風になるのなら。
自分のやりたいことを、誰にも邪魔されずに続けて、人生を謳歌したいと思っていたなら。

子供なんて、産まなければいい。

それでも。
子供を持つ人に聞くと、みんな口を揃えて言う。

「子供のいない人生は、考えられない」
「自分が何を犠牲にしても、守りたい存在だ」
「子供の笑顔を見られるなら、それだけでいい」
「あなたも子供を持てばわかるわ」

そうして、目に強い光を宿しながら微笑む。

その時、私はわからなくなる。

彼らが自己陶酔に浸りながら過去を自己中心的に美化しているのか。

それとも、子供を産むということがそれほどまでに素晴らしく世界を一変させ、子供にとっても自分にとっても「産んでよかった」と思える結果になるのか。

私は今、「この世に生まれついてしまったからには、人生楽しんで好きなことをして、好きな人を喜ばせたい」と思っている。
けれど、自分がそもそもこの世に産まれるかどうかを選択できるとしたら。

自信を持って「産まれてよかった」と言えるだろうか。

人間として産まれることが決まっているなら。
この時代で。
地球で。
日本で。
我が家で。
本当に良かったと思う。

けれど、本能ではなく頭で考えるなら、
子供に「産まれない権利」を与えることもひとつかもしれない、と思うのだ。

人間は結局は自分の欲でしか動けない。

だから、「子供がほしい」という欲が、
自分の時間を失ってでも、
傷ついても、
疲弊しても、
それでもどうしても叶えたいものなのかどうか。

望んでできるというわけではないけれど、望まないという選択肢を考えておくことも、ひとつかもしれない。

それでも生み続ける人類に、私は憤りではなく、不思議さを感じる。
同い年で母である友人もいるが、私はまだまだ母にはなれない、と思う今日このごろである。

世界は謎で満ちている。

書いた人

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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