今の仕事に楽しみを見つけられない人間は、どこに行っても楽しい仕事になんて出会えない。のか?

わたしは世のいわゆるサラリーマンという人たちを非常に尊敬している。
特に、仕事が楽しくないと感じ続けながら、5年も10年も同じ場所で働きつづけている人たちを。

彼らはこう思うこともできるのだ。
「きっと今の仕事は自分には合っていないんだ。職場の人間のレベルが低いのが悪いんだ。転職すれば、きっと状況は改善されるはずだ」
そんなふうに、転職を繰り返す権利だってあるのだ。

諦めているのだろうか? 仕事に楽しみを期待することを。
一日8時間、通勤している場合はさらに何時間か、残業がある場合にはさらに多くの時間を費やして、彼らは何かを得る。
そう、お金だ。
お金は彼らを生かし、仕事の時間以外の彼らを多少なりとも幸せにするのだろう。

わたしの父はこう言う。
「仕事とは、しんどいものだ。その中で1割楽しいことがあれば御の字。人生もまた然り」
同じく公務員の伯父も、隣で大きくうなずく。
いちおう公務員を一年間務めた身として、彼らの言うことも理解できる。
公務員とは、とことん報われない職業である。
いろんなことを諦めて心を閉ざすことでしか前に進めないことがある。

しかし20代のわたしは、そんな大人になるのが嫌だった。

そして30歳になっても期待を捨てられず、仕事に楽しみを見つけたいともがいている。
なぜなら、表題に書いたとおり「今の仕事に楽しみを見つけられない人間は、どこに行っても楽しい仕事になんて出会えない」と信じているからだ。

長い文章になってしまったけれど、今の仕事を続けることを悩んでいる人たちが読んでくれたとしたら、感想を聞いてみたい。

わたしのこれまでの仕事観

仕事観は、人生観や性格と深くリンクしているはずだ。

わたしの人生観は、大学3年のスウェーデン留学時代に大きく変わった。
と20代を通して思っていたけれど、思い返してみると根本的なところは一貫して変わっていないのかもしれない。

完璧主義。
責任感。
よくばり。
他人からの評価。
成長。

そんな言葉に、たぶん未だにこだわっている。

この数年間のわたしのテーマは「反省」だったように思う。
傲慢だった20代前半を振り返って、自分の無力さを自分自身にわからせる期間と言ってもよかったかもしれない。

例えば。
世界に対して憎しみが芽生えそうになったら、こう思う。
「今の世界は完璧じゃないかもしれない。でもこの世界は少なくとも、わたしの祖先、おじいちゃんおばあちゃんたちが、わたしたちを愛して一生懸命に働いてくれて遺してくれた世界なのだ。わたしたちは文句を言う前にまずそのことに感謝しなくちゃならない」

例えば。
誰かを軽蔑しそうになったら、こう思う。
「この人にできて、わたしにできないことが山のようにあるはずだ。そのおかげで間接的にわたしが日々生きていられる可能性だってあるのだ。誰かを尊敬する前に軽蔑してしまうなんて、自分の器は小さい」

例えば。
仕事に不満が出そうになったらこう思う。
「仕事なんだから、楽しくないこともある。いいところに目を向けなくてはならない。労働条件はいいはずだし、セクハラやパワハラがあるわけでもない」

基本的に「ねばならない」が強く、そのことを自覚しながらも、もはやアイデンティティ化してしまっている自分にとって、対価をいただきながら労働を提供する「仕事」という活動における優先順位の上位は「自分の楽しみ」では決してない。

これは会社の短期的、中期的、長期的利益になるのか?
社内の雰囲気を良くし、生産性を上げるにはどうすればいいか?
全体の業務の中で抜けているところはないか?
わたしの現在の能力やキャパシティを考えると、どの業務をどの順番でどれくらいこなすのが全体利益を高めるのか?
さらに会社、ひいては社会に貢献するには、自分のどこを磨けば良いのか?

こんなことばかりが気になる。
仕事が楽しい?
そんな余裕はないんだよ。

楽しい仕事、人生を諦められないわりには、わたしの仕事はいつもこんなふうだった。

今の仕事に出会った4年前

今の仕事の詳細については割愛するが、今現在、わたしはとある会社で役員と従業員を兼務している格好になる。

市役所勤めを辞めて一年、わたしはぶらぶらしていた。
非常に焦りながら、ぶらぶらしていた。
小説を書いていると、少しは慰めになった。今思えばわたしは、言い訳を書いていたのだと思う。
優等生だったはずの自分が、社会から役立たずの烙印を押されることになった、社会側の責任を並べ立てることで。

一生社会のレールから外れて、できるだけ人生が早く過ぎ去ってくれるように祈りながら、それでも死ねないでいた。
平日の昼間に近所を散歩して、太陽が樹々の緑を照らすのを見て幸福を感じた。
誰にも邪魔されずに、自分のペースで暮らせることでやっと息ができた。
もう他人と話をしなくていいんだと思うと、ひどく安心して、どこまでも寂しくなった。
わたしは他の人間といい意味でも悪い意味でも違うから、これでいいんだ、これしかないんだと思おうとした。

書くことだけは、わたしをどこまでも甘やかし慰めてくれた。書くことは決して楽ではなかったけれど、自分のできる唯一の価値あることである気がした。

そんなとき、とあるクリニックから「ブログを書く仕事をしないか」という話があった。
会社を経営する母の知り合いからの話だった。

自由であることに疲れ、孤独を感じていたわたしに、社会という羊水のようなぬくもりの中で居場所が見つかりそうなことはとても魅力的だった。
わたしは二つ返事で了承した。
ただし、フルタイムでは働けない。わたしは短期集中タイプなのだから。
隣に人がいるオフィスワークも苦手だから、在宅の日も作ってほしい。

一年間の有り余った時間でひねり出した自己分析を盾に、何重にも保険をかけて業務を開始した。

仕事は楽しかった。
自分は役立たずではないのだと証明できている実感があった。
それは、間違いなく「楽しい」という感情に似ていた。

最初はブログだけだった。
コードを書く、とかプログラミング言語、なんて世界とはまったく無縁の中、なんとなく趣味と新卒で入った会社で運営していたWordpressでサイトをつくり、クリニックの副院長(以下A氏と呼ぶ)から教わる内容をブログに落とし込んでいった。
この何年かで実に久しぶりに日本語が通じた人で、「この人の役に立とう」と思った。

医療用語なんて、さっぱりわからない。
それでも検索能力だけは器用に発達した現代人ならではのずる賢さで、成果は確実に出ていた。

仕事はそれだけにとどまらなかった。
職場内の手書きフォーマットを自動化したり、
kintoneという、コードなんてさっぱりわからなくても簡単に操作できるデータベースを構築して工数とミスを減らしたり、
とにかく自分にできそうなことを手当り次第にやっていった。
ありがたいことに、それを「生意気だ。越権行為だ」なんて言う人は、この職場にはいなかった。(前職には残念ながらいた)

毎日終電が当たり前だった。
自分はオフィスワークもフルタイム勤務もできるんだ。
それが嬉しくてたまらなかった。

そして特許出願で徹夜が続いたあと、半年で体を壊した。

仕事量を減らすのは不安だった。それでもそうせざるを得なかった。
わたしの感じていたのは「楽しさ」ではなかった。また社会からこぼれ落ちるわけにはいかないという不安と、今はまだ居場所があるという安心、それ以上のものではなかったのだと気づいたとき、愕然とした。
こんなにも必死に生きて得られるものがそれだけならば、どうしてこれを死ぬまで続けなくてはいけないのだろうと思った。

そう思い始めたときには、身動きが取れなくなっていた。

経営者の交代と仕事の変化

仕事をはじめて一年も経たないうちに、経営者が変わった。
わたしの尊敬したA氏は、残念ながら経営能力の著しく欠けた天才研究者だったのだ。

社長がわたしの母親になった。
このあたりは、長くなるので割愛する。
どういうわけか、わたしは人生のある地点から「母を救いたい」と思うようになった。
そのために自分はこの世に召喚されたとさえ思っていた。

市役所に入る前も母の会社を手伝っていたし、その後の人生でもことあるごとになんやかんやと手伝っていた。

会社にいても家にいても仕事のことばかり。
お酒の量が増えた。おかしくなりそうだった。

仕事をやめようと思い、半年かけて退職準備をした。
そしてタイに旅行に行き、帰ってくると会社が傾きかけていた。
コロナが流行り始めた頃だった。
戻るしかなかった。

一年近く文通をしていた今の夫とはじめて会ったのも、この頃だった。

仕事が楽しいと感じる瞬間

仕事を嫌だと思うと同時に、仕事の楽しいところを見つけようとしている。
反射的に。

仕事を楽しく感じられないのは、自分に問題があるからだ。

そして仕事を楽しく感じられないままなら、未熟なわたしは到底そのまま仕事を続けてなんていられないからだ。わたしは父のような人間ではない。たぶん、残念ながら。

学生時代のアルバイトはとてつもなく楽しかった。
一緒に働く先輩たちが魅力的だったからだ。

市役所で上司に資料を褒められるのが嬉しかった。

サイトから問い合わせがあったとき、
記事を読んで共感したとメールをくれた人がいたとき、
kintoneでデータベースをつくって褒められたとき、
会社の危機管理の甘さに事前に手を打って喜んでもらえたとき。

そう。
思い返せば、わたしは「仕事そのものを楽しんでいる」瞬間なんてなかった。
一緒に働く人を愛し、愛され、彼らの役に立つことこそ楽しみだったのだ。お客さんとの関係もまた然り。

ここに根本的な問題がある気もするが、たぶんこれは変えようと思って変えられるものでもないのだ。

良かれと思った仕事が、「また新しいツールですか」という迎えられ方をすると、ちょっと拗ねる。
今のやり方を変えたくない人たちがいることを理解しなければという気持ちと、改善すべきであるという想いがどうしても折り合いを付けられない。

それでわたしは、望んだわけでもなく、従業員でありながら役員となった。
隣の人の役に立つだけではもう足りない立場になった。

今の仕事に感じること

今の仕事で楽しいのはやはり、ブログを書いているときなのだと思う。
でもそれがのびのびできないでいる。

自分で優先順位は決めて良いのだけれど、正直言ってわたしがブログを書いている場合ではないのだとも感じる。
それよりも優先すべきことに追われているときは余裕がなくなってくるし、でも誰よりもわたし自身が焦ってそれをしている。

役員や管理者として考え実行すべき(とわたしが信じる)ことと、個人プレイヤーとしてのわたしがやりたいことがちっとも一致しない。

自分たちの知名度が上がってきて、ブログの内容に「科学的エビデンス」とやらが求められることになったことや、お偉い先生ではない自分が書いた記事はGoogleに無視されるアルゴリズムになってしまったことも、わたしに追い打ちをかけた。

すでに公開された他人の論文の解説記事くらいしか書く余地がなくなり、自分たちの研究内容は前ほど気軽に発信できなくなった。
そこにはまず特許があり、論文化がある。
専門的な勉強をしてきていないわたしの、面白おかしい記事なんてお呼びではないのだ。

わたしの業務は、だんだんワクワク感を減じ、プレッシャーのかかるものになっている。

まず、いいチームを作る必要性を感じている。
わたし個人は、大まかな方針さえ与えられればどこまでも個人プレイが好きであるにも関わらず、会社としてもっと組織内のコミュニケーションの質を高めなくてはという謎の使命感により、Slackで無駄に絡む人になっている。
きっと暇人だと思われているだろう。

そして、雇用されている立場にある人たちのドライさというか、割り切り術も理解するようになった。
彼らはあくまで依頼された業務を遂行するための労働を提供し、その対価を受け取っている。
経営陣側の熱意を理解してもらおうという試みは、押し付けにすぎないのかもしれない。
期待を捨て、とにかく何かをやってくれる度に感謝の言葉を口にするのがいいのだ。

たぶんわたしは経営陣であることに疲れつつあるし、専門外の社長率いるこのチームで今の業務を行っていくことに限界を感じてもいる。
もちろん大学と共同研究していたり、他企業とのコラボレーションの話は進んでいたりする。
けれど社内の人間の専門性にばらつきがありすぎて、外部とのコミュニケーションがうまくいかない。

どうしてわたしは辞めないのだろう?
それは母の会社であり、A氏の役にまだ立てていないと思うからだ。
彼らのために、まだできることがある。

同時に、この考えはできるだけ早く捨てなくちゃならないとも感じている。
この調子では、わたしは彼らを恨むようになっていくだろうから。
今の仕事を続けているのはあくまでもわたしの自由意志であり、自分が続けたいから続けているのだ。
もっと、自分ごとにしなくては。

そのためにもわたしには、仕事に楽しみが必要なのだ。
けれど、いっそのこと諦めてしまったほうが楽なのかもしれない。
期待は希望だけれど、同時に悲しみや憎しみのポテンシャルも孕んでいる。

それだけではなく、「他に行く場所はない」とも感じている。

わたしはとことん、普通のサラリーマン的働き方に向かない。
出社と退社時間が決まっていること、隣に人がいること、一日8時間働かないとまともな給料がもらえないこと。
そういう制約のない今の仕事を、手放すわけにはいかないと感じているのだ。

生きていくためのお金がなくなること。
長く生きていくことに興味なんてなかったはずなのに、それが怖くてたまらない。

仕事に希望を持つこと

そんなふうに、わたしは袋小路に追い込まれていた。
いっそ会社が潰れてくれたら、なんて願う日さえある。

それでもやめられないし、まして仕事の手を抜くことなんてできない。
これがわたしの居場所で、きっともう少ししたら、会社は組織として強くなり、経営も軌道に乗るはずだと信じて4年が経った。
それが希望になっていた。

でも最近思う。
それで?
会社が大きくなったとして、そこにわたしのやりたい仕事は残るか?
仕事そのもの、という意味あいにおいて。

その問いに、今のわたしは自信を持ってYESと答えられない気がするのだ。

そんなことを思うということは、わたしはまた、仕事に楽しみを期待しはじめているということだ。
たぶんその背景には、夫の存在がある。

彼はわたしと付き合って半年で仕事をやめて、何もかも捨ててわたしと暮らし始めた。
遠距離恋愛だったわたしたちは、一緒に暮らすならどちらかの住んでいる方に移る必要があった。

わたしはその時仕事が嫌でたまらなかったし、彼は「たいした給料ではないが、二人で慎ましく暮らすくらいなら稼げる」とも提案してくれた。
彼もわたし以上に当時の仕事に辟易し、不満たらたらだったというのに。たぶん、わたしよりも報われない思いをたくさんしてきた人生だったろうに。
避けていた昇進試験も受けると言う。
なんだか暗い闇の中に懐中電灯くらいの小さな光を見つけたみたいな顔をして、そう言うのだ。

そのときのわたしたちは、子どもを持つつもりもなかった。
こんな腐った希望のない世の中に子どもを産むなんて、子どもがかわいそうだと信じていた。
それに子どもはお金がかかる。わたしたちが大嫌いな「社会」ってやつに、もっと迎合しなくてはならなくなる。

けれどそのときのわたしは、その提案を「そんな逃げみたいなつまらない人生は嫌だ」と跳ねのけたのだ。
わたしは仕事を楽しんでいる人がタイプなのだ、みたいな無責任なことも言った気がする。自分の希望を重ねたのかもしれない。

それから彼の好きなこと探しが始まり、プログラミングがその答えになりそうだった。
ちゃんと自分の生活費を確保したうえでスクールに通い、コロナ禍、未経験、32歳という状態で早々に第一志望に就職を決めた。

鮮やかなコペルニクス的転回だった。

年明けから仕事を始めた彼は、その五日後にわたしの夫になった。
世界の不完全なところを日がな一日指摘し、人々の愚かさを演説していた人間はどこかへ消えた。
毎日嬉々として仕事に向かい、職場の話を嬉しそうに報告してきたり、自分の未熟さを嘆いたりしながら、仕事以外の時間にもなにやら小難しい本を読んでいる。

誰だこれは。

彼は言う。
「ちひろは幸運の女神さまだ」と。
たしかにわたしの回りにいる人間は、うまく事が運ぶことが多い。
しかしそれは、わたしが必死でこぼれ球を拾い、お膳立てしているからに他ならない。
わたしは夫に、わたしの夢を乗せただけに過ぎない。
彼自身の勇気と努力、そして運が彼の人生を変えたのだと思う。

彼は言う。
「前の仕事はどれだけ努力しても楽しくなくて、仕事ではできるだけエネルギーを使わないようにしていた。でも今の職場に出会って、こんなにへとへとになるまで仕事をしていて楽しい。僕を救ってくれてありがとう」
そう、たぶん頭がヘンなのだ。あんたが頑張った結果なのだ。

彼は言う。
「一緒に仕事をする仲間も、仕事が楽しいかどうかに大きく関わる。性格やレベル、考え方。こんな人たちもいたんだと思った」

それを聞いて、わたしは心からうれしく思う。
自分の分まで仕事を楽しんでくれているような気になる。
わたしは今の場所から抜け出すことができないでいるから。

そりゃ楽しくない瞬間や、やる気の出ない日だってあるはずだけれど、未来が明るく見える。
彼がお金のためだけに別な仕事をしなくていいように、自分が今の仕事にとどまる理由ができたと喜んでいるのかもしれない。

そして彼は続ける。
「ちひろもこんな会社を見つけてほしい。好きな仕事をしてほしい。そうじゃないと僕は悲しい」

難しい問題だ。
わたしはどんな仕事がしたいのだろう?
何をすれば、こんなに毎日消耗することなく、それでいて働いていられるというのだ?
それを見つけるには、わたしはあまりにも精神的にも肉体的にも柔すぎるんじゃないのか。

でもわたしはそんな仕事をいつか見つけたいと思っている。
今のところ思いつく楽しそうな仕事は、あまりまともな収入にはならなさそうだけれど、それでもやはり勇気を出すべきなのだと思う。

そしてわたしのお腹にはいま、赤ちゃんがいる。
8月から産休に入り、半ば無理やり育休を取る予定でいる。(そう頑なに主張し、自ら労務回りの整理までした)

産まれてくる彼あるいは彼女は、わたしに時間をくれたのかもしれない。
この子が物心つく頃に、大人という存在に対して希望を抱くような大人になりたいと思う。

自分の幸せを誰かに託さないこと。
自分自身を喜ばせること。

それがたぶん、子どもたちの世界をちょっとだけ彩る気がしている。

書いた人

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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