世界は多数決の集まりだということ

「多数決で多い方に決めます」
というのは、小学校から国政にまで通用するルールである気がする。

ネットが発達してから少数派の意見が陽の目を浴びるようになったという見方もできるだろうけれど、
拡散した個人の言葉は、「世間」という絶対的多数の目にさらされ、評価をくだされる。

そういう意味では、何事にも大衆の目が行き届くようになった今は、少数派の意見は以前よりも発信しにくくなっているのかもしれない。

そもそも、「多数派を良しとする」という風潮はどのようにして成り立っているのか?

これは長年疑問に思ってきたことだったのだけれど、大学でマクロ経済学を学んだ時にかなり腑に落ちた気がした。

多数決とは言っても、クラス代表の決定から社内旅行の行き先、総理大臣の指名に至るまで様々なシーンがあるが、経済学は中でも人々が崇拝する「お金」を通じてそれを教えてくれた。

誰かの個人的な恣意ではなく、あくまで自由な市場原理が導く「結果」としての多数決。

誰もが自由に売り手市場に参入でき、買う方もどこから買うのかを自由に選べるとする。
モノの値段は、需要と供給のバランスによって決まる。

生産者にとっては想定より高く売れたほうが儲かるけれど(生産者余剰)、
消費者にとっては想定より安く買えたほうがいい(消費者余剰)。

値段の均衡点は、これらがどちらもゼロになるところに決まると言われている。

ある生産者だけが高く売ろうとしても、消費者は他のより安い生産者から手に入れるだけだから、また価格は均衡に戻る。

もっとも、実際の市場は、売り手同士が裏で口裏を合わせて価格を釣り上げたり、自由化されていない状態のインフラのように市場の独占があったり、ある事業で利益を顧みない企業が価格を不用意に釣り下げたりすることが起こるため、このようにスマートにはいかないが。

ここで大事なことは、誰しもが自身の「余剰」を最大化するために行動するということだ。

中には環境問題を気にして、安い工業製品を買わない人もいるだろう。
どれだけ値段が上がろうと、品質が悪かろうと、好きなブランドで買いたがる人もいるかもしれない。

けれど、それが少数派であるかぎり市場は影響を受けない。
最近「無農薬」や「有機栽培」が流行っているのも、かつての少数派が陽の目を見たわけではなく、ただ単にそれが多数派になっただけなのだ。

これは経済だけではなく、この世を支配するルールである気がする。

少数派は、多数派になることによって初めて認められる。

だから、気に入っていたマンガが打ち切りになり、万人受けしそうなご機嫌取りの漫画の連載が始まることもある。
手間ひまかけて料理を作る食堂が店を畳み、工場で調理された価格添加物たっぷりの安いチェーンが生き残ることもある。

「どうして…みんな間違っている…」と思うことがあっても、多数の人間が選んでいる場合、少なくとも今はそれが「選ばれた結果」なのだ。

愛読するONE PIECEのセリフで、こんなものがある。

正義が勝つんじゃない。勝った者が正義なのだ。

そういうことなんだと思う。

けれど、少数派に希望を捨てて生きろというわけではない。

世の中は、狭いようで広い。

たとえ少数派でも、それが本当にいいもので、真理を貫いているなら、遅かれ早かれそれを見つけて、太陽の下にすくい上げる不思議な力があるような気がするのもまた事実だ。

たまたまこういう惑星のこういう土地で、それなりに暮らしているわけだから、何事も経験さと気楽に過ごすのがいいのだ、きっと。

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