2月になって。寒さは厳しさを増して。

気づけば2月になっていて。

長かったようで短かった1月が終わっていて。

ああ、これを12回繰り返すと、また新しい年を迎えるのだと思うと何だか不思議でもあって。

そんな風にして、私の最終出勤日が終わりました。
転職なんて、数えきれないくらい多くの人が経験するありふれたことの一つなのかもしれないし、ドラマや映画になんてならない、つまらない個人的な出来事なのだろう。

それでも、当人にとってはなかなか大きな出来事なのだということを知った。

きっと世の中は、誰かにとってはとても大切なことで、他の誰かにとっては取るに足りないという出来事であふれているのだろう。

何もかもが瑣末なことなら、人生はとてもつまらない「凪」のようになってしまう。

けれど、誰かの「重大」がみんなにとっての「重大」になったら、一人の人間はその重みに耐えられなくなるだろう。
皆、自分の「重大」に応えていくだけでいっぱいなのだ。

情報が溢れて、隣の人から地球の裏側にいる人まで、いろんな人の事情が目に見えるようになったけれど、人は都合よく自分にとっての「重大」と「瑣末」を器用に分類していく。

そんな風に、私も曲がりなりにも悩んで、けれど決めてしまったあとはすっぱりと、「転職しよう」と思った。
そういう時期だ、と一言で片付けてしまうことは簡単だけれど、その決意には私の24年間が詰まっている。
「公務員」と呼ばれる職業に、4月から就くことになりました。

知り合いに報告すると、皆示し合わせたように意外そうな顔をして、口々に「一番ありえない道だと思っていた」と言う。

友人たちは、私を怪獣か何かだと思っているらしい。
私はこれまで、自分の「陽」の部分だけを努めて周りに見せるように生きてきたから、仕方ないのかもしれない。

それでも、会ってお茶を飲んでしばらく話していると、そんな意外な出来事はなんでもなかったかのように、するすると時間は過ぎていく。

これが、人々の「瑣末化」の効用なのだ。

私としては、もう済んだことなのだから、今更あれこれ解説する手間が省けるし、友人は友人で、今度の週末に恋人とどこでデートをするかということのほうが大切なのだ。

だから、あまり他人の目を気にしてあれこれ行動するのはやめたほうがいいのだ。

私が明日死んでも、一週間後には友人のほとんどは、何もなかったかのように(少なくとも表面上は)振る舞い、それぞれの人生を生きていくだろう。
それが人生というものなのだ。そうでなきゃ、やってられない。

だから、ゴーイングマイウェイと歌っていればいい。
本の香りに頬をほころばせ、スーツに身を包む自分を肯定してゆくのだ。

自分さえ幸せならそれでいいというのは何だか寂しいけれど、自分さえ幸せにしてやれない人に、人の幸せを願うことはできない。

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ことば、文字、文章。 それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。 文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。 そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。 私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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