9時5時サラリーマンへの転職。フリーランスでもフレックスタイムでもなく。

これを書いているのは、3/31。
わたしの最後のモラトリアム。

予約投稿時には、公務員として研修を受けていることになります。

学生の時からビジネスの真似事のようなことをし、卒業から1年半、会社に在籍しながらもほとんどフリーランスのような形で働いてきました。
いや、面倒な手続きなどは会社にしてもらいながら、勤務時間はわりにフレックスタイム、かつ勤務内容もこちらがやりたいことをやらせてもらえるという、かなりおいしい立場でした。

休みが自由になる反面、完璧主義がゆえに上手く休めないことも。
零細企業ながらも経営側に近いところにいたおかげで、働くということや、立場の弱い側からのビジネスがよく見えた気がします。
そして、小さい組織であるがゆえのフットワークの軽さや方向転換のしやすさは魅力でした。

フルタイムサラリーマンからフリーランスや、勤務形態が自由な会社に転職するケースは多いですが、気づけばその逆を行っていました。
きっと、毎日スーツを着て会社に行っている人たちには、甘い考えに見えることでしょう。

けれど、わたしはこの1月で会社を辞めました。
理由は個人的なことも含めてたくさんあり、それらを積み重ねていった結果、メリットよりも将来への不安や自分の精神的な健康への悪影響のほうが大きくなりそうだと判断したからです。

客観的に大きかった理由は。以下の通り。

1,親がやっている会社だった

やっぱりこれが一番大きかった。
家でも仕事ができる分、いつ親が親なのか、いつ親が上司なのか、自分の中でも区別がつけがたくなっていた。
そして、それらを両立させられるほど、お互い器用な人間ではなかった。
このままでは、親子として崩壊してしまうと思った。

2,経営に対する考え方の相違

これは、なまじ経営側に立ってしまったがゆえに起こったこと。
社長は、会社のキャパは考えず、新しいことに何でも手を出して変化を求めていくタイプ。
わたしは、小さい会社だからこそ、もっと選択と集中をしていかないと、ずっと素人の延長線から抜け出せないと訴え続けた。
その溝は、どうしても埋まらなかった。

3,生きていこうと決めた時、将来が不安になった

ステレオタイプのような文言ですが、わたしは死にたいと思っていた時期がありました。
本当に、死んでやろうと。
その前に、好きなだけ自由に仕事をして、好きなだけ本を読んで、好きなだけ食べて、貯金を使い果たしてわがままに死のうと。
けれど、この数年間、主に小説と妹の存在のおかげで、わたしは死ぬのを一旦取りやめることにしました。
世知辛い世の中だけれども、確かに。
けれど、こんな作家たちの本が読めるのなら。こんな素敵な妹や家族がいるなら。
まだ焦って死ぬことはない、と思い直したのです。
身勝手ですが、誰に迷惑をかけるわけでもないので、勝手に取りやめさせていただきました。
その結果、生きていくという前提での不安感がわたしを襲いました。
年金はあてにならない。
将来の旦那の稼ぎが一生いいとも限らない。
いや、結婚すらできるかわからない。(現時点ではむしろ結婚とか出産は積極的にしたくないのですが)
そんな中、自分の足で立って生きてかなきゃならない。

けれど、当時のわたしはもうビジネスに飽き飽きしていました。
飽和した消費社会に、経済を回すという名目でどんどん投下されていく「不要な便利さ」や「偽物のニーズを満たす商品」たち。
人々の枯渇を潤すのではなく、人々を振り回して枯渇を生み出していく社会。
ライターもしていたわたしは、もううまい売り文句が思い浮かばなくなっていました。
もちろん、本当に人々の生活を豊かにし、地球や宇宙全体にも配慮したものもあるとは思うのだけれど。

「生活の安定した基盤」
「ビジネス感が比較的希薄」
という要素を掛けあわせた結果、わたしの前に公式の解のように「公務員」という職業が浮かび上がりました。
もちろん、後付としての表向きの動機はたくさんありますが。

これからの人生

大好きな読書や、文章を書く時間に割ける時間は少なくなるでしょう。
けれど、それを職業にしないことで、それらに対して100%自由でいられるということも魅力です。
それに、一度は死んだ人生だと思えば、「別に1分1秒を惜しんで好きなことばかり追い求めなくたっていいじゃないの」と思えるようになったのです。
前は、好きなことをしているはずなのに、どこか義務感が出てきたり、トラブルになることがほんとうにつらかった。
イライラした。
どうして完璧になれないのか、そんな人生にいったい何の意味があるのか、そのことばかり考えていた。

けれど、今はある意味で自由になった気がする。
わたしは、わたしという「個」ができるだけ満足するように生きよう。
わがままに生きてやろう。
わたしが幸せに生きても、自分を削って生きても、誰にもかまうものか。
わたし自身が許していないだけだったのだ。

これまで生きた偉大な作家たち、今を生きる作家たちが、わたしの魂を救ってくれた。
わたしよりもずっとひどい鬱の時期を乗り越えた妹が、わたしの肉体と精神をこの世につなぎとめてくれた。

明日からは、そんな世界に恩返しをしながら生きていこう。
もちろん、わたしは100%わたしの自由でそう生きることを忘れない。

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