ボランティアは偽善なのか?
おはようございます。
昨日で新人研修が終わり、希望の部署に配属されてとても喜んでいるわたしです。
さて、何の役にも立たず、むしろコストばかりを増産していた研修期間の新人ですが、なんと来週にはお給料が振り込まれます。
逆だろ、金払えよ、と言いたくなりますが、あんな研修期間にもお給料が発生していたのです。
研修はともかく、多かれ少なかれわたしたちは「お金のために」働きます。
お金のために。
では、お金の伴わない労働とはなんでしょう?
その一つに「ボランティア」が挙げられると思います。
収益性の見込めない善意の活動を自ら進んで行う。
ここに存在するモチベーションとは、一体どういう種類のものなのだろう?
自分は良いことをしているという、優越感にも似た一種の悦?
それとも自分は人々の役に立っているんだという、自己充足感?
あるいは、頭よりも先に手足が動いているのでしょうか?
いずれにしても、悲しいことにボランティアには「偽善」という意見がつきまといます。
そして、わたしは正直言ってそれを100%否定できる論理を持ちません。
それは、晴れ渡った青空で汗水垂らして働いている時に、向こうの山からこっそりと忍び寄ってくる雨雲に似ているかもしれない。
そんなことを考えていると、足がすくんで動けなくなる。
けれど、高校生の時に塾で先生が言っていたんです。
「ボランティア行為は偽善であるという意見も一理あるかもしれないけれど、少なくとも行動を起こして実際に誰かの役に立っている時点で、ただ批判をしている人よりもはるかに優れた行為をしているのだ」と。
その一言で、わたしは救われた気がした。
その時ボランティアをしていたわけではないけれど。
何でもかんでも批判の種にされて、それがあっという間に世界に広まってしまう。
そんな時代で、臆することなく行動を起こせる勇気。
批判? かまうもんか。
わたしはわたしの正義で、行動しているんだ。
そんな人でありたいと思う、土曜日の朝なのです。
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ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。
文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。
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