「健康」という言葉の秘めるトラップ

「わたしは健康だ」
と胸を張って言える人が、今の日本に何人いるだろう?

そもそも「健康」とは、どういう状態のことなのだろう?

身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない。(Wikipediaより引用)

毎日遅くまで残業している。
複雑な人間関係のストレスにさらされている。
不規則で栄養の偏った食生活をしている。

それでも、「健康」な人はたしかにいる。
俗にいう、ストレス耐性があり、体力もある人は、極端に言えばどんな生活をしていても、健康ではいられるのだろう。少なくとも一時的にはということかもしれないけれど。

逆に、ストレスを感じやすかったり、虚弱体質な人は、ほんの少し無理をしただけで調子をくずしてしまうのだろう。

《一般論その1》

一般的に、「健康的な生活」といわれる生活パターンを考えてみる。

・一日6〜7時間の適度な睡眠で、スッキリ目覚める
・週に一度は趣味のスポーツで汗を流す
・一日三食しっかり食べる。

しかし、そもそもこの「一般的」という謎のカテゴリーに完全に当てはまる人が、果たしてどれほど存在するのかは謎である。
だれもが「自分は人とは違う」という意識を、少なからず持っているはずだから。

《ストレス耐性があり、体力もある人が健康でいられるパターン》

よくわからないので、身近な人の例でいかせてもらう。

・一日5時間睡眠でも平気
・朝ごはんは食べないが、昼と夜はしっかり食べる。おやつも食べる。夜は飲みに行くことも多い。
・平日は遅くまで仕事し、帰宅後はパソコン漬け。
・休みの日は基本的に家の掃除や料理など。忙しい。そうでなければ、家族と遊びに行く。あまり休み自体がない。

かなり体力にも、精神力にも、自信がないと健康ではいられなさそうだ。

外向的か内向的かのあれこれについては、前回のブログ『内向型人間の時代 社会を変える静かな人の力/スーザン・ケイン』をご参照あれ。

《そしてわたしの健康的パターン》

・あまり人と話さず、作業に集中しながら仕事をする
・耳からではなく、目からの情報を処理する生活
・一日8時間睡眠(22:30に眠り、6:30に起きる)
・野菜中心の生活
・決まりきった生活パターン
・静かにコーヒーを飲んで本を読む
・ほんの少しでいいから、食べるのに余裕のある収入

これらを守っていくのは、それなりに難しい。
どこかが微妙にズレたりすると、すぐに体調を崩す。

今週は残業が22時までの日が多く、来週はもっと忙しい。
精神的にも肉体的にもキツく、医務室や病院の世話になるはめに。

「無理はせず、休めばいい」
「慣れれば大丈夫」
「健康には気をつけて」

優しい言葉をかけてもらった。
そんな言葉にも、気を遣って萎縮してしまう自分がいた。
「もっと鍛えなければ」
そんな風に自分を責めた。

けれど、もっと鍛えて、残業だってらくらくこなせる自分になって、果たしてわたしは「健康」になれるのだろうか?

いちおう、自転車通勤で鍛えようと頑張ってはいる。
仕事に支障が出ないよう、睡眠や食事内容にも気を遣っている。

健康とは、「自身の精神が望む活動を肉体が実現できる状態」である気がする。

残業して、上司の飲み会の誘いに全て付き合って、それでも肉体が悲鳴を上げない状態には、正直言ってなりたくないのだ。

多少虚弱で内向的だからこそ、本を読む生活を慈しめる。
休日は飲みに出ず、家族とゆっくり過ごしたり、太陽に当たって軽く畑仕事ができる。

自分が健康なら。
自分の体と心が健康なら。
一般論なんかほうっておいて自分のパターンを貫けばいい。

「社会的に良好」

ここまでなら、誰もが好き勝手やって、暮らしていくだろう。
ストレスなく、人生を全うしていくだろう。

けれど、「社会的に良好」という状態が、健康の定義には含まれる。

これが、しばしば肉体的、精神的健康を蝕む可能性がある。
生活をしていくために仕事をする、
自治会などに入る、
苦手な人との人間関係にも付き合っていく、など。

それでも、その人間として生きていくためには、その三つの総合点が高くなるように、自分をよく知ってなるたけうまく毎日を調整していくことが大事だなぁと、しみじみと感じたのでした。

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