適応障害は、君が悪いんじゃない。きっと。

お久しぶりです。
公務員として働き出して二ヶ月。

「一番ならない職種だと思ってたわ」などと周囲を驚かせながらも、同期にも恵まれ、上司もなかなかいい人たちでそれなりに楽しくやっていた。

まぁ、飲み会では悪口ばかりだし、人間関係も複雑だし、みんな表裏ありすぎてびっくりですが、そんなもんだろうと軽く受け流していた。
仕事もそれなりに楽しかったし。
新人にいきなり仕事振ってきすぎだろwwと思うことは多々あったけれど。
仕事ってそういうものだと思うようにしていた。

夜は苦手だし、体力は恐ろしいほどないものの、残業があまりないのでなんとか続いていた。

慣れない環境で、緊張状態は続いていたけど。

そして、悪夢の二週間。
地域へのイベント回りで、夜10時までの残業が続き、さすがに疲労が限界に達した。
みんな確かに疲れてはいるものの、私ほど魂が抜けきっている人たちはいなかった。

「慣れだよ、慣れ」
その言葉がつらかった。

残業の後、飲みに行くみんなの体力が信じられなかった。
「1回くらい付き合ったほうがいいよ」
そんな先輩のアドバイスが、泣くほど辛かった。

疲労からか、通勤途中で何度も車にぶつかりかけた。(一度、自転車と派手にぶつかって病院送りに)

婦人科で思わぬ病気が発覚。

そして、5月の後半は毎日涙が止まらなくて、本当に死ぬことばかり考えていた。

「なんで? なんでみんなができることが、わたしにはこんなにもしんどいんだろう」

わりと優等生としての道のりを歩んできた私にとっては、これは結構な屈辱だった。
妹は、「職場がお姉ちゃんに仕事を押し付けすぎている」なんてかばってくれたけれど、わたしにとってはそれくらい余裕でこなしたかった。

自分がこんなにも「できない」子だという事実に、愕然とした。
「◯◯はしっかりしているから安心だ」
「司会、うまいね」
「◯◯さんなら大丈夫やろ」

私があまりに自信なさそうだからか、そんな言葉をかけてくれる上司たち。
それでも不安で不安で、毎日職場でまともに息ができなかった。
お昼休みに一人になれる場所を探し続けた。

目の前で先輩が怒られていると、まるで自分が怒られているかのような気持ちになった。

イベントが終わった6月、リフレッシュのために飲み会を企画してくれる気遣いが痛かった。
飲み会は、内向型のわたしにとって「ミッション」。
いつまでこんなことが続くんだろう。あ、定年までか。

そして、集中してひとつの物事を進めたいタイプの私にとって、ここは地獄だった。
作業をしながら、
いつ呼びかけられてもいいように耳をそばだて、
突然に打ち合わせが入り、
いきなり電話が鳴る。
作業の優先順位がコロコロ入れ替わるのは当たり前

頑張っても頑張っても、次の仕事が来るだけ。
何の達成感もなければ、頑張る意味さえ感じられない。
ただただ失敗を恐れる気持ち。

古い村のような人間関係で、上司の内線一本で他部署の協力が得られるかどうかが決まる。
人間関係。すなわち飲み会への参加率と忠誠心、そして忍耐。
正直者がバカを見る。

こんなものだと割りきって入ったはずだった。
生きていくために、稼ぐんだと。
これは生きていくためなんだと。
そしたら、死ぬことばかり考えていた。

生まれて初めて心療内科に行った。

「一番苦手な分野で、頑張ろうとしすぎちゃったね。あなたが悪いのではなく、ミスマッチングです。高い能力を持っているのだから、自分の能力を活かすことを考えてあげて」

その先生の一言に、また泣いてしまった。
私が悪いんじゃなかったのか。
できない子じゃなかったのか。

元々の性格が、「人付き合いにおいて極端に気を遣いすぎる」「一点集中型のクリエイティブ系」のようで、今のお仕事のようにたくさんの人と関わったり、同時並行的にマルチタスクをこなす必要のある仕事は向いていないようなのだった。

いわゆる適応障害みたいなやつかと思われる。
翌日から、仕事に行けなくなった。
人と目を合わせるのが怖く、薬の副作用でほとんど眠ってばかりだった。

一週間ほどで、状態はみるみる良くなった。
もう泣いたり死ぬことを考えたりすることはなく、混雑していないところには出られるようになった。
二回目の診断の時に先生に聞くと、今回は「うつ」ではなく、「抑うつ状態」で手を打ったので、回復が早かったそうだ。

ただ、同じ環境に戻ればまた同じ状態になる可能性はあると釘を刺された。
これからもこの仕事を続けたいなら、しばらくは薬を飲みながら、人混みを避け、「いかに手を抜いて仕事をするか」「いかに残業をせずに仕事をするか」を考えて、仕事はただお金のためだと割り切らないと、続かないと。

これは、自分の性格的に厳しいなと思った。
そもそもわりにそういうスタンスで市役所に入ったのだが(すみません)、自分がそこまで器用な人間ではなかったことに気付いた。
苦手な分野に、全力投球しすぎてしまった。

今週中に、決めなければいけない。
これからの生活の不安と引き換えに、今の健康を取るか。
多少無理してでも割り切って、頑張って慣れていくか。

多分答えは決まっている。
でももう少し悩みたい。
わたしだって、自分の足で立って生きていきたい。

でも、甘えていいんだよと言ってくれる家族や同期の存在が、どれほどありがたいか。
どれほど心を溶かしてくれるか。

しんどい時にこそ、支えてくれる人のありがたさを改めて認識する。
なんて身勝手なんだろう。

自分を好きになって、大切にするって難しいな。
でもそれをできない人は、きっと大切な人を守ることもできない。

今回のことはいい機会だった。
早くも人生の分岐点を再度迎えてしまいました。笑

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