人生っていうのは全く。

いくら考えてもわからない。

考えて考えて結論を出したはずなのに、一秒一秒その姿を変える。
私は公務員になった。

物欲はないし、贅沢もむしろ苦手な方だけれど、安定した最低限の収入がないと本当に不安だったから。
経済的に一人でも生きていけるようになりたかったから。

けれど、もうビジネスには飽き飽きしていた。
いらないものが多すぎる。
人はどこまでも求めすぎる。

だから、せめて自分は利潤追求とは距離を置いて働こうと思った。

休日には好きな本を読んで、文章を書いていく。
そんな平和な人生を歩んでいくんだと決めた。

甘かった。
自分の人間関係構築における不器用さ、完璧主義さ、キャパシティー、体力。

どんどん余裕がなくなった。

まだ二ヶ月だよ。カッコ悪いなぁ。ほんと。

仕事を休ませてもらって一週間、涙は止まった。死にたいとも思わなくなった。
抜け殻のように、ぼうっと目に入るものを認識するでもなくただ見ていたら、一日が終わった。

何も考えられない、動くのも面倒。
けれど、最悪の状態は脱した。
近くなら、たまには外出もできるようになった。
薬のおかげで、一日に数時間なら好きな本を読んだり、ジグソーパズルをしたりできるようになった。

仕事に戻らなくちゃ。
そう考えた途端、怖くてたまらなくなった。
またあそこに戻って、息のできない日々を過ごすのか。

体が動かず、何を食べても美味しく感じない。
なんて情けないんだろう。
なんて甘えた考えなんだろう。
こんなの、ただ仕事に行きたくないから、逃げたいから、具合が悪くなっているみたいじゃないか。

負の連鎖だった。

もうだめだ。
これは、だめだ。

仕事を辞めようと思い、上司に連絡を取った。
大切な話だから、と上司が二人も家の近くのファミレスまで来てくれた。

3日ぶりの外出に息が切れたけれど、なんとか笑えたと思う。

突然休みだした私に、上司は怒っていなかった。
びっくりした。
迷惑をかけたのに。
ぜんぶ、ほっぽり出したのに。

優しかった。
まだ決めなくていい、と。
しばらくは何も考えずに好きなことをしたらいいと言ってくれた。
「この人たちと働きたい」
そう思った。

すごく安心した。
どうしてこんないい上司に恵まれて、精神を病んでしまったんだろう?
自分で自分がいちばんわからない。

翌日の17日は誕生日だった。
まだ決めなくていいのだ。
そう思うとスッと楽になって、素敵な誕生日を迎えられた。
書きかけの小説を読み返してみた。
「ああ、やっぱり文章を書くのが好きだ」
諦めかけていた夢が蘇ってきた。

夜には大好きな家族たちが祝ってくれた。
こんなわたしでも愛してくれる、大切な家族。
そしてメッセージをくれる友人。
家族や友人がいい人だからというのももちろんあるけれど、自分にどこかいいところがあるから、愛してくれるんだと思うようにしようと思った。(これは前日に上司に言われた言葉)

愛してもらうには、愛することだ。
うまく実感できない。

昨日は本当に楽しくて嬉しかった。
私のことを過大評価しすぎている友人たちのメッセージには、なんだかとても罪悪感を覚えたけれど。

今は、疲れているのだ。
なにもかもに。
あとどれくらい頑張れば、頑張ることから解放されるのだろう。
きっとこの生き方をしている限り、死ぬまで頑張らねばならない。
人生はそんなものなのかもしれない。

けれど、わたしはそんな風に死ぬ日を指折り数えている人生なんてごめんだ。

自分で決めた道、この一回で辞めてしまうのはいやだ。
上司たちが好きだ。
人間が怖くても、彼らはいい人達だ。
もう一回だけ、挑戦してみたい。
それで駄目なら、もう諦める。
不器用な私が安定した人生を歩みながら、好きなこともする人生は。

公務員を目指した頃よりも、今の自分は弱っているから甘えている。
逃げようとしている。
だから、あの頃、論理的に客観的に考えて出したこの道をそんな風に投げ出すのは嫌なのだ。

昨日、妹とそんな話をしていた。
妹は、どちらかというと直感で生きる人間だ。

「論理的とか、客観的とか、お姉ちゃんの気持ちが完全に無視されているよ。今の話に『気持ち』って言葉がなかったの、気付いてる?」

この言葉には愕然とした。
いくら考えても答えが出ないわけだ。

私たちは、「今」の積み重ねで人生を生きている。
その今の自分の気持ちや幸せを無視して、幸福な人生など送れない。
「甘えている」
「そんなことが許されるはずがない」
「世間体が悪い」
「それじゃ将来食っていけない」

そんな風に、何度自分の気持ちを無視して来ただろう。
思えば、八方美人のわりに人付き合いが苦手なのもここに起因しているのかもしれない。

頭でっかち。

それでも、これまでの自分の性格や世間の現状なんかを分析して答えを出さないと不安なのだ。
わたしは、わたしのことをよくわかっていないから。
それだけは経験的に学んだ。わたしは自分を見誤る。
自分の気持ちに従うことに、自信がない。

昨日はたくさん考えた。
そんなわけで、今日は少し疲れている。

昼にやっとものを食べようという気が起こり、薬を飲んだら少し元気になった。

今回のことはどうしても書き留めておかねばならない気がして、もそもそと起き上がってパソコンを開いた。
どうせ仕事に戻ることになったら、はじめのうちはどうしてもしんどいだろう。
今のうちに、ちょっとずつちょっとずつ、リハビリしておこう。
ひどく眠い。今日は病院に行く日なのに。

と、こんな風に書いていたら、なんだかスッキリ整理できてきた気がする。
(迷いが消え去ったわけではない)

文章を書くことは、いいことだ。

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