飲み会が学生の頃より楽しくなくなった理由

大学生の頃、飲み会が大好きだった。

行かないと仲間はずれにされるかもしれない、いつも人に囲まれている自分でないと不安だ、
そんな理由もあったかもしれない。
いや、あった。
行かないことが不安だった。

けれど、一方でそんな席を心から楽しんでいる自分もいた。

先輩たちの口から語られる夢。
自分の知らない世界。
この先には、無限の可能性が広がっているんだというわくわく。

何もかもが新鮮で、輝いて見えた。
そんな人達と一緒にいられることが、嬉しかった。

少し背伸びして、自分だって無限の可能性を持っているんだと胸を踊らせた。

そんなわたしも、少し大人になった。
社会のきれい事じゃない部分も見た。
人生を語るにはまだ未熟すぎるけれど、無限の可能性を持っているだけの時期はもう終わった。
選んでいかなくちゃならなくなった。
選ばれなかった道のことは忘れて、今の自分が選ぶことを信じて、一歩一歩進んできた。

もうあの頃には戻れないし、戻ったとしてもきっとまた同じように過ごすだけだろう。
今のわたしのほうが、昔のわたしよりもわたしらしい。

周りの人も大人になった。
みんなそれぞれいろんな道を選んでいる。
飲み会にはあまり行かなくなった。

楽しくなくなったから。

それは、前みたいに、もう「無限の可能性」なんて言ってられなくなったからかもしれない。
自分の好きなことが見つかって、飲み会の席に「背伸び」をしに行かなくてもよくなったからかもしれない。
先輩が得意気に語る「哲学」よりも、本の言うことのほうに納得してしまうからかもしれない。

けれど、いちばんの理由はたぶんこれだ。
「みんな、不満ばっかり言っている」
なりたくなかった大人の像。
学生の頃、口を揃えて希望を唱えていた先輩は、今職場の愚痴しか言わない。
女友達は、経済力のある男と出会うことばかり考えている。
それがおとなになることなんだろうか。
わたしもそんな風になっているのだろうか。

おとなって、そんなだったろうか。

頭ではわかっている。
そんな風にしないと、とてもやっていけないのだと。
それでも、なにもかも辞めにしてしまうよりはマシなんだと信じていること。
そうでないと、何一つ守れないから。

ひとつずつ可能性を捨てて、希望も捨てて、本当に捨てられないものだけを残して、守って、大人になっている。

まだ何も捨てたくなくて、おろおろしているのはわたしくらいだろうか。

人生は、残酷だ。
残酷で冷たくて真っ暗で、だからこそ愛やぬくもりや灯りがあって、
まだまだわたしは子どもなんだよと言い聞かされている気分になる。

大人になりたいのか、いつまでも子どもで甘えていたいのか。
わたしはいったい何なんだろう。

書いた人

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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