日本の教育の行く末

わたしは平和主義者なので(笑)、いわゆる賛否両論のトピックについてあれこれ言うのはあまり好きではないのだが、こういう記事が出るようになったのか〜となんだか寂しいような、でも否定はできないようなむずがゆい気持ちになったので、紹介します。

国立大学に文系は不要か?

要するに、国がお金を出して経営している国立大学の出身者は、ちゃんと社会で「経済的」に使える人間になりなさいよ、金を生み出せる力をつけなさいよ、ということだ。

国と国民を利害関係者と捉えるなら、この考え方は一理ある。
国は大学に補助を出している。(国民が払った税金のうちからだけれど)

その分、大学出身者には、将来その投資をリターンできるような人材になってもらわなければならないということだ。

確かに、今の日本の大学生を見ていると、そう言いたくなる気持ちもわかる。
カテゴリー化はあまり好きではないが、特に文系。

勉強はそこそこ、遊びとバイトやサークル活動はめいっぱい。
余力のある人や意欲の高い人は、ビジネスに手を出してみたり、社会貢献という看板を掲げて力を注ぐ。

そして、そんな自由はあるけれど責任はないようなキャンパスライフを終えた学生たちが社会に入ると、すぐに折れてしまう。
甘えたことを言う。
常識がない。
根性もない。
仕事もできない。
なのに言葉尻だけは一丁前。

いわゆる「サラリーマン」として社会人デビューした場合、
そんな若者が増えていることも確かだ。

大学という場所は、甘すぎる。
ある意味では、実技スキルを学ぶ場であってもいいのかもしれない。

実際、例えばスウェーデンの大学は、日本で言う専門学校のような役割を果たしている。(学費が無料なので、国からしたら大きな投資だ)
そして、欧米の学生たちはめちゃくちゃ勉強する。
大学の図書館はいつもいっぱいだ。

そんな風に、ある意味でやることを明確に示す「訓練所」のような役割を国立大学が担っていくという考え方もありかもしれない。

けれど。
けれど、「何をしたらいいかわからない」「自分は何をしたいんだろう」「外の世界にはどんなものが待っているんだろう」
そんな風に立ち止まって、高校までとは違い誰もやるべきことを示してくれない期間というのもあってもいいんじゃないか。

恐る恐る自分で扉を開けて、「これは違った」「違う扉を開けてみよう」
そんな風に、自分の前に無数の可能性に満ちた扉を選べる自由と時間があってもいいんじゃないか。

だって子どもだったんだもの。
これからは自分で決めていかなくちゃいけないんだもの。

「何かを始める時に、遅すぎるということはない」

確かにそのとおりだ。
好きなことややりたいことが見つかれば、何歳からでも始めればいい。

けれど、今の日本社会では、一旦社会に出てしまうと方向転換を図るのがなかなか難しい。(数十年前よりははるかに簡単にはなったと思うけれど)
だから、何度でも簡単にやり直しのきくうちに。
「大学生」という最強のカードを持っているうちに、自分で悩んで挑戦して失敗すればいいのだと思う。

もうそれが決まっている人にとっては、確かに大学の授業はつまらないだろう。
けれど、それが決まらぬままに大学生になっている人が大半ではなかろうか。

「ビジネスに役立つスキルを身につける場所」
そういうと、確かに聞こえはいい。
正論とも言える。

だが、そんなふうに道を示して学生生活を送らせると、「正解なんてどこにもなくて、自分の人生は自分で決めてかなくちゃいけないんだ」という意識を育てる場がなくなってしまうようにも思う。

もっとも、今の大学がそのような場になっているのかと言われれば答えに窮するのだけれど。
それに、あまりそういうことを考え過ぎない「駒」のような人材のほうが国にとっては好都合だろう。(言い過ぎたかな)

国にお金がある時はそれでもよかった。
余裕があった。

けれど、膨らむ赤字に目をそらし続けた結果、国は、そして私たち国民は、「金にならない無駄は徹底的に消していく」という方向に舵を取らざるを得なくなったのかもしれない。

でも、文学部とか、残してほしいなぁ。
金にならないものの中にこそ、心の肥やしがあったりするのに。

かく言う筆者は、経営学部出身です。

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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