正しく言える? 誤りがちな日本語表現

「これ、残しておいてほしいんやけど。ちなみに8割は勘違いしてたわ」

と、父に手渡されたのは、8/1(土)のNIKKEIプラス1の記事。

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著作権とかの問題もあると思うので、ところどころ、というか肝心の部分はほぼ黒塗りしています、すみません。
日経を取られている方は見てみてください。

読書が好きなだけに、日本語の扱いにはわりに気を配っているつもりのわたし。

けれど、7割近くアウトでした。
中には、「間違っている方の言葉すら聞いたことがない……」という事態も。

以前、言葉はどんどん変わっていくものだからでも書いたけれど、こういうのを見ると、改めてうーんとなってしまう。

正しい言葉、その起源までさかのぼって伝えていくことに重きを置き、大多数の人が間違って使っている言葉を正していこうとする動き。
一方で、多くの人が使い、そのニュアンスまできちんと伝わっているのであれば、それでいいじゃないかという意見。むしろ、正しい言葉を使う人の言葉に「?」となる場合だってあり得るのだ。

正しい言葉。
そういうことになると、そもそも「言葉」というものの役割はなんだということになる。

辞書が認めてしまえば、それが正しい言葉になっていく。
さらには、辞書によって解釈も違う。

わたしは、そういう言葉の変遷を悪いとは思わない。
むしろ、時代が変わるにつれて、使われる言葉もどんどん変わって然るべしとさえ思う。

例えば、「的を射る」という言葉。
最近では、以前誤用とされていた「的を得る」という表現も正式に認められているらしい。

そんな中、「変わる節目」というのにはやはり様々な議論が出てくるのだろう。
わたしは、どちらも知った上で日本語を自分なりに磨き上げていく作業がわりに好きだったりする。

そもそも、どれほど上手く美しく言葉を操っても、それが相手にきちんと100%伝わることなどまずない。
やっぱり大切なのは「心で話す」こと。

わたしなんかは、この記事でもって父親と会話し、コミュニケーションが取れたことが一番大事なことなんじゃないかと思ったりする。

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