なりたい大人はいるか。大人になるって、何なんだ?
大学生に入って間もない頃、先輩たちに憧れていた。
夢を語り、目標に向かって突き進んでいく姿。
素敵な社会人もいなくはなかったけれど、世の中のサラリーマンはくたびれて見えた。
「学生の頃が一番よかった」
「君も大人になればわかる」
かっこわるかった。
こんな大人にだけはなりたくないと思うような人が、たくさんいた。
社会で働く人たちのほんの一部を見て、また、誰かのブログやニュース、本を見て、知った気でいた。
大人なんて、何も知らない。
夢を諦めた人たちが、誰かの色に染められた人たちが、負け惜しみを言っているだけだ。
そんな姿が、まだ無限の可能性を信じている学生の自分にはうざったかった。
それが親切心からくるアドバイスだとしても。
そして、そんな憧れの先輩たちが社会に出て行った。
もちろん彼ら全てと今もつながりがあるわけではないけれど、先輩たちは少し「大人」になった。
現実を知り、挫折をする人。
それでも食らいつく人。
疲れ、諦める人。
不平不満をこぼす人。
あの頃夢を語っていた、キラキラしたあの人たちは嘘みたいに思えた。
そしてそれと同時に、「学生」という枠組みが見せていた幻想に気がついた。
正義が勝つのではなく、勝つ者が正義なのだ。
とある漫画で読んだ台詞が頭をかすめる。
そして、曲がりなりにも社会に出て、自分は。
こんな風に、何色にも染まらないと決意して社会に出た自分は。
折れた。
職場の愚痴を言って、人生に絶望して、それでもあの幻だけの学生時代に今さら戻りたいとも思えずに。
わたしは、わたし自身は、「なりたくなかった大人」に近づいているのだろうか。
けれど、これはやっぱり言い訳になってしまうんだろうけれど、
誰かに守られた状況を抜け出し、何かを守ろうとすると、何かを犠牲にしなくてはいけなくなる。
守るものが、自分、恋人、家族と大きくなるにつれて、「本当に大切なもの」が増えていくにつれて、それらを守るために汚くならなくてはいけないこともある。
正論だけを口先で語る偽善者には、何も守れない。
時には嘘だってつかなくちゃならない。
それでも、それと天秤をかけても守りたいものが見つかることは、きっと素敵なことなんだと思う。
あの頃なりたくなかった大人になっているかもしれない。
けれど、少なくとも、今の自分はあの頃の自分よりもたくさんのことを見聞きしてきている。
知っている。
そこから目をそらすことは、きっとできない。
大切なものを作ることに怯えず、知ってしまうことや選んでいくことから逃げず、
自分の精いっぱいの力で守れるものをきちんと守っていくこと。
これが、わたしの考える「かっこいい大人」かな、今のところ。
みなさんにとって、「おとなになる」って何ですか?
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ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。
文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。
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