小確幸。小さなしあわせの実感は、実はとてもたいせつ。

「小確幸」という言葉をご存知だろうか。

作家の村上春樹氏が『うずまき猫のみつけかた』というエッセイでつくりだした言葉で、その中には次のように書かれている。

生活の中に個人的な「小確幸」(小さいけれども、確かな幸福)を見出すためには、多かれ少なかれ自己規制みたいなものが必要とされる。たとえば我慢して激しく運動した後に飲むきりきり冷えたビールみたいなもので、「うーん、そうだ、これだ」と一人で目を閉じて思わずつぶやいてしまうような感興、それがなんといっても「小確幸」の醍醐味である。そしてそういった「小確幸」のない人生なんて、かすかすの砂漠のようなものにすぎないと僕は思うのだけれど。P126

彼は、この言葉を広辞苑に載せることを目標にしているらしい。

そもそも、
「しあわせになりたい」
という人の本当のところは、どこにあるのだろう。

例えば、
・お金持ちになること
・美貌を手に入れること
・仕事のできる人間になること
・健康な体になること
・長く眠ること
・結婚すること
・夢だった職業に就くこと

人によってもちろん様々だとは思うが、周りの人の欲望の様子や行動からすると、こんなところだろうか。
その裏には、「今の自分にはないけれど、もし叶うなら」という大きな期待が込められている。

仮にそれが叶ったとして。
それは思いがけず来る幸運かもしれないし、自分の努力によってなし得るものかもしれない。
それでも、それは思っていたような「しあわせ」ではないかもしれない。
一旦手に入れると、「しあわせ」は長続きしないかもしれない。

大切なのは、「しあわせを求める」のではなく、「しあわせに気付く力」なのではないか。
それこそ、この「小確幸」に込められた最大の意味なんじゃないかとわたしは思う。

それは、「夢を諦めろ」ということでは決してない。
決してない。
でも、夢に期待するあまり、今を嘆きすぎると、足元のしあわせを踏みつぶしていることになりかねない。

先進国よりも、貧しい国のほうが幸福度が高いことがしばしばあり得るというのも、こういうところから来ているのではないか。

君はいま、「しあわせ」とは到底思えないかもいしれない。
けれど、もし頑張れるのなら。
小さな小さな「しあわせ」を見つける試みをしても、損はない。

「ああ、しあわせ。」と小さな声でつぶやく何かが見つかれば、それは次のしあわせを呼ぶ。
そんな積み重ねが、人生をつくっていくんじゃないかと、わたしなんかは思うのだ。

ムーミンカフェのレシピ本を読みながら、「ああ、これはいつ作ろう」とほくほくとした気持ちになる時。
IMG_0813

忙しい職場で、3分の余裕を見つけ出し、贅沢して買った「HAMAYA」のインスタントコーヒーを飲む時。(たまらぬ)
珈琲

本当に久しぶりに作った母との時間を、大好きなパン屋さんが経営するカフェで、ほっと一息つきながら過ごす時。
パンネル

(わたしがこよなく愛する、宝塚のパンネル逆瀬川店は、二階がいい感じのカフェになっております)

あああ、ほんとうに、小確幸なんかじゃなく、大確幸だよ。
小さい(かもしれない)けれど、自分が確かにしあわせを感じられる瞬間。

こういうものにいくつか気付いておくと、つらい時に少し助けになるかもしれない。
逆に、村上春樹氏が触れているように、ある程度「自己規制みたいなもの」、ぎりぎりまでやってみることで気づけるものなのかも。
わたしはそう信じている。

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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