仕事と愛はどれほど隔たっているか[お便りします01]

これまで生きてきた25年の短い人生で(短いとは言えないにせよ、長くはないですね、まだ)私が獲得した認識によれば、仕事というのはお金に替えられるもののことを呼ぶようですね。
ここで私は便宜上「もの」と言いましたが、これには自分の時間、物理的なエネルギーの発散、精神的歩み寄りなんかに加えて、必ず相手の得になることが含まれていなくてはいけないようです。
つまり、お金に替えられるというのは言い換えると、相手が自分の持つお金に替えてもいいと思うかどうかなのです。

そうして手に入れたお金を、私たちはどう扱うか?
あなたにも同意してもらえると思うのだけれど、生きていくために使うのです。
食べるもの、住む場所、電気、水道、着るもの。
私たちが自分で調達することのできない、あるいはすることを許されていないものたちは、ほとんどお金があれば手に入れられるのです。
これは先ほどと反対の図式で、こちらが誰かの仕事に対して手持ちのお金を渡しているのです。
病院の薬、トイレの修繕費、新しいフライパン、住民税、市の指定するゴミ袋。
私たちに購入の選択の余地が残されているかどうかは別にして、たくさんのものがお金で替えられます。

お金が余ったらどうしたらいいのでしょう?
あなたは大きなサーフボードを買って、私は庭にマーガレットの鉢植えを置くでしょう。
それから二人で散歩に出掛けて、帰りにうんと長いフランスパンと体がほどけてしまうような白ワインを買って、うちでレコードを聴くでしょう。

ところで、仕事には「優先順位」と「流行り廃り」というものがあるそうです。
まず優先順位のほうですが、生きていくためにどうしても必要な仕事とそうでない仕事が、ゆるやかにピラミッドを描いています。
お金がたくさんもらえるという基準で見れば、この優先順位はあまり当てになりません。
けれど、みんなで一斉に仕事を減らそうという動きが生じた場合に、この優先順位が大切になります。
要は、どこかに境界線を設けて「絶対にいる仕事」「別にいらない仕事」に分けてしまおうというわけ。
優先順位の低い仕事をしていた人は仕事を失うことになっちゃうんだけれど、まあそれは人口が増えすぎて余計な仕事を作らなくちゃいけなくなったわけだから、しょうがありません。

それから、流行り廃り。
こっちのほうは、とっても不思議な現象です。
例えば、世界中のみんながどうしても毎日手紙を書きたいんだと思ったら、郵便屋さんは大忙しです。商売大繁盛です。
けれど、私が今そうしているように、一緒に暮らしている人に宛てて手紙を書いたり、あるいは紙にわざわざ書かなくたってテレパシーみたいな何かで誰かに手紙を書けるような未来がやってきたとしたら、郵便屋さんは仕事を失ってしまうのです。
同じことを同じようにしているのに、それが仕事になったりならなかったりするのです。
不思議だとは思いませんか?

こんなことを書いていると、仕事というものについてうーんと考えさせられます。
私たちは、物々交換をあまりにも複雑にしすぎてしまったのかもしれません。

仕事でうんと疲れて帰ってきてこんな手紙を読まなくてはいけないあなたを思うと、気の毒になります。
でも私は私なりに悩んで、今後のことについて思いを重ねているのです。
せっかく一緒に暮らせるようになったのに、私は仕事を失ってしまいました。
あなたは幸運にも(と言うべきでしょう)優先順位の高い仕事に就いていて、むしろ忙しくしているというのに。

ねえ、少しおかしなことを聞いてもいいですか?
私がここにいることで、あなたに何かしらの「得」があるとして、そのおかげで私は家や食べ物を手に入れられるとしたら、それは仕事になるのでしょうか?
そうだとしたら、愛と仕事にはどれほどの隔たりがあるのでしょうか?
愛と仕事は全然別物だとしたら、誰のために仕事をしているときに、それが「仕事」だと呼べるのでしょうか?
愛情のかけらも感じない第三者のために何かをして、それと引き換えにお金をもらうのですか?
私はどうも混乱しているようです。

今日はそろそろ眠ることにします。
冷蔵庫にほうれん草の胡麻和えがあるのと、鍋に鶏肉のトマト煮込みがあります。ご飯は炊飯器からよそってください。
洗濯物は明日しておきますので、布製のほうのランドリーボックスに入れておいてくださいね。
そうそう、庭に紫の花が咲いていました。時間があれば見てみてください。

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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