眠れない夜に流れるラジオ[お便りします04]

こんばんは、白ネコ団子さん

今日は僕の最後の記憶について、書き記してみようと思います。
誰かにこの話をするのは初めてで、うまく話せるか自信がないのだけれど。

夜中に起きて、そのまま眠れなくなるということが、よくあります。
それほど寒くない時期ならば、窓を開けて遠くの方を眺めます。
目が悪いから、あまりはっきりとは見えないけれど、運がいいと山の中にあるラジオの電波塔が見えます。

ふと、夜中にラジオはやっているのだろうかと気になって、スマホでラジオが聴けるアプリを、たぶん1年振りくらいに起動させたのです。
電話やカメラはいいとしても、ラジオがスマートフォンから流れているのは、何だか不適切なことのように思えたものです。

いつも聴いている局は、どこも放送を休止していました。
放送を休止しているあいだ、ラジオがどんな音を出すか知っていますか?
今度よかったら聴いてみてくださいね。

時刻は午前2:41です。
何も眠らないこの世界で、ラジオだけはまだ眠ることができるのだ、とどこかほっとする自分を覚えました。
不自然に明るいコンビニの光を視界の隅にぼんやり感じながら、赤ん坊のように眠る電波を思うと、あるいはあれは夢の中だったのかもしれません。

そんな中でひとつだけ、ラジオの世界の警備をするように、静かに音を流しているチャンネルがあったのです。
聴いたことのない、場違いなほど国も時代も違う曲。
流れている曲は、Run DMCというグループのものでした。
なんだろう、と思った次の瞬間には答えが与えられる。検索世代の常識は実に厳しいですね。考える暇もありませんでした。

そのまま音楽を流しながら、時にDJの少し控えめなトーンの話し声を聞きながら、いそいそと窓の枠によじのぼります。
危ないからやめなさい、と小さい頃から何度も言われてきたこの姿勢は、僕に自由を与えてくれる気がしたから。
二階の窓から半分だけ体を外に投げ出したまま、僕はふたたび電波塔を見ます。
昨夜降った雨のにおいが、あたりに立ちこめているのがわかります。
少し土の混じったような優しい匂いが鼻に届き、僕の記憶を揺さぶります。
この匂いが部屋の中まで届いていれば、あんな夢を見ずに済んだかもしれないのに、とぼんやり考えました。

それから僕は思い切り息を吸い込んで、体いっぱいに、雨の余韻を満たします。
スマホが、静かな夜に不釣り合いなカッコつけたビートを奏でる最中で、
僕はアプリを消して、ついでにスマホの電源も切ってしまいました。
何も音楽が気に入らなかったからではありません。
最後の放送局であるラジオのほうが放送をやめてしまう前に、
その瞬間を聴かずに済むように。

部屋の豆電球が放つ淡い光に押し出されるように、かろうじて残るわずかな闇に引き込まれるように、僕の体は右へ傾く

それが、今のところあそこでの最後の記憶です。

こうしてあなたにお便りを書いている僕は、あのときの僕からどれくらい隔たっているんでしょうね?

追伸:自分の名前を忘れてしまったことに今気が付きました

投稿者プロフィール

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
そんな文字の持つ力に心躍る方がいたら、ぜひ友達になってください。
私はそんな友達を見つけるために、物書きをしているのです。

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