【長編小説】『空色806』第5章(2)「双子は引き裂かれなければならない」(王 四十二歳)

空色806

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【長編小説】『空色806』概要・目次(作:陽月深尋)

 トラリアでは、王女が三歳の誕生日を迎える日に、国民たちの前で歌や楽器を披露するという行事がある。王女は歌か楽器、どちらか興味を示した方を半年間練習し、発表するのだ。レベッカは歌に興味を持ち、三歳の誕生日に『シー・イズ・アナザースカイ』を歌った。

 レベッカは海が好きだった。空に浮かぶ島に、海という響きはいささか奇妙にも聞こえるが、実はトラリアには「フラスコ」と呼ばれる海中部分の地区が存在する。トラリア本島のとある場所にふたが存在し、そこから下に続く長い透明なスロープを二万メートル滑り降りたところ、海の下にそこはある。スロープが透明であるわけは、もちろん地上の人々にその存在を知られないようにするためだ。人々は巨大な風船に入り、スロープを一気に滑り降りる。「フラスコ」に着く頃には、気圧の影響ですっかり真空パックされたような状態になっているため、地下管理担当のロボットであるオーイシがすぐさま風船を破いてくれることになっている。

 「フラスコ」には、あるルールがある。それは、ここにいる間は言葉を発してはいけない、楽器を演奏してもいけないというルールだ。もともとフラスコは、歌や音楽を含めたお祭りごとが大好きなトラリアのいくぶん騒々しいとも言える環境下で、「内向的思考」を好む人々ために作られた場所だった。つまり、哲学者や作家、画家、建築家、陶芸家などが、深い思考と静かな手作業を黙々と進められる空間である。トラリア本島との行き来は自由で、フラスコ内の三分の一を占める巨大な図書館や、美味いブルーシーマウンテン珈琲を出す喫茶店が目当てで訪れる国民も少なくない。ただ、ここでは誰もが口を開かずに静かに過ごしている。真空状態で到着する際に紛れていた楽器はすぐさまトラリアに送り返され、どうしてもお喋りを我慢できそうにない人々に関しては、声を抜かれる。水中で声が届きにくい原理を応用すれば、声というものは案外簡単に抜け落ちてしまうのだ。

 レベッカは、二歳の誕生日にここを訪れ、フラスコのすぐ外を泳ぐ魚たちにすっかり魅了されてしまった。ちなみに、数十年前にこのフラスコが開通して以来、トラリア国民の食卓には魚が並ぶようになった。

 王に試練が舞い降りたのは、スズとホープの三歳の誕生日を一ヶ月後に控えたある日のことだった。

 誕生日当日は、スズが『金色(こんじき)の樹』を歌い、ホープがそれをピアノ演奏することになっており、その日は二人の初めての合同練習を兼ねた公開リハーサルが行われる予定だった。王と王妃は誕生日に初めて演奏や歌を聞くことになっているため、練習にはいつも城の誰かが付き添っていた。今日は財政係のニーマと、教育係のリセだ。

 ニーマはよく簿記の仕訳を左右反対に書いてしまったり、買い出しに行った使用人たちにそのままお釣りをあげてしまったり、祭りに出る音楽家たちの演奏に感動するあまり出演料を多く支払ったりするものだから、しょっちゅう収支が合わなくなっていた。そろそろ給料からの天引き措置もやむを得ない、と先日カードル王に叱られたばかりだった。その度に彼はひどく申し訳なさそうな顔をしながら、その大きな瞳に涙を浮かべるのだ。

 一方のリセは、三人の王女たちの教育係を引き受けている。国一番の歌の先生と、ピアノの先生を半年前に見つけてきたのも彼である。六十九歳とは思えないほど背筋がしゃんとして、やけに手足が長く、特注の燕尾服を身につけている。そして、モノクルのように右目の眼窩に装着されたサングラスの奥には眼球がない。このサングラスは、三十年ほど前にルカの父親がリセのために地上から持ち帰ったものである。リセに左目が欠けている理由を知る者は、今ではもう数えるほどになってしまった。

 公開リハーサルは、村外れにある音楽ホールで行われていた。豪華なステージと三千ほどある客席は、防音効果のある特殊な膜で覆われている。国のあちこちで音楽が鳴っているトラリアは、いつも様々な音楽が入り混じっていた。そんな中で、この音楽ホールだけは純粋に、ある意味で静かに音楽が楽しめるのだと、一部の音楽愛好家や作詞家、作曲家の間では人気の場所となっていた。「フラスコ」に入ることのできない唯一の芸術家という意味でも、作詞家や作曲家にとってこのホールは大切な場所になっていた。

 五ヶ月間、二人とも曲がりなりにも練習を重ね、スズの歌とホープのピアノはそれぞれかなりの完成度になっていた。レベッカの時は村で評判のハープ弾きが伴奏を務めた(確かサラという十七歳の少女だった)が、今回は二人ともが三歳になったばかりの幼い少女たちだ。練習もかなり念入りに行われ、ようやく今日、歌と伴奏を合わせる練習を始めるところだった。

 それは、その王に降りかかった試練というのは、スズの歌とホープのピアノが引き起こした奇蹟とも言える強い魔法だった。いや、あるいはそれは憶測でしかないのかもしれない。厳密には、その日にこれと言って目に見えて不思議なことは何も起こらなかった。二人の奏でる歌と演奏は、これ以上はないというくらい見事なまでに調和した。それはまるで、一万ピースのジクソーパズルの、長い間はまらなかったピースを見つけた時みたいだった。かちり、と音を立てて古い日記帳の鍵が外れたようでもあったし、そっと針を落とされた古いレコード盤が、静かに滑らかに音楽を奏で始めるようでもあった。

 そのとろけるような美しい奏(かなで)に、その場にいたニーマも、リセも、そしてリハーサルを聞きに来ていた数十人の国民たちも、みなうっとりして我を忘れた。

 二人は、生まれる前から二人でひとつだった。それは、とびきり美味しい珈琲と大きな木苺の入ったマフィンを、雲池(くもいけ)の見える静かなカフェで本を読みながら味わうことのように、いつでも組み合わされていなくてはならなかった。別々になると、それはただの豆であり、焼いた小麦粉であり、椅子であり、紙に過ぎなかった。

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第5章(3)「双子は引き裂かれなければならない」(王 四十二歳)

書いた人

ちひろ
ことば、文字、文章。
それはとても恐ろしいものでもあり、うんと心強い味方でもある。

文字はマンガに劣り、写真は動画に劣ると言われる時代で、文字の集積だけがもたらしてくれる「情報」以上の無限の想像のための余白。
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