【長編小説】『空色806』第6章(7)「暫定的役割としての王と小さな城」(王四十七歳 朔二十七歳)

空色806

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【長編小説】『空色806』概要・目次(作:陽月深尋)

 キッチンにはヨーテ、スズ、そして無理やり引っ張りだされた様子のカードル王が待っていた。大粒のブルーベリーがたっぷりと乗ったパイと珈琲でレベッカにささやかなお祝いをする様子は、哀しい父子家庭の過去を微塵も感じさせることない、幸せの代名詞みたいな光景だった。レベッカは本当に、頭の先から足の先まで(靴を履いていたから正確にはわからないが)すっかり濃い紫色に染まり、朔は再び驚いてしまうことになる。

 「キャベツのポタージュと、サーモンのグリルと、ブルーベリーのパイを一度に食べたらどうなるの?」朔は興味本位で聞いてみる。

 「これまでの経験上、最初の一口で食べたものの色になるみたい。持続時間は、だいたい三十分」

 「じゃあもし……」

 「もし水を飲んだら透明になるかって? 残念ながら、水は適用外みたい。まあでも、人が透明になっちゃったら、あまりにも物理の基本法則に反することになると思わない?」レベッカは朔の問いを先読みして答える。彼女は彼女なりに、自分の体を色々と研究しているのだ。

 「スズは、何を持っているんだろう?」とスズが急に消沈したように呟く。

 「お姉ちゃんは色が変わる、キベは背が高い、ルカは空が飛べる、ヨーテは料理が上手い、パパは王様。スズは、何を持っているの?」

 「それを聞いちゃだめだって、いつも言ってるでしょ」隣でレベッカが窘(たしな)める。

 「自分が何を持っていて、何を持っていないかは、自分の目でしか見えない。今は毎日楽しく過ごせていればそれでいいさ」そう言ってスズを見やる王の目は、愛しい娘を見つめる父の目だった。

 城の中をもう少し探検しておきたかったので、朔はまた二階へ戻ってみることにした。今度はスズも一緒に行ってくれると言うので、三人で城の階段を上がりかける。

 「あるこーあるこー、わたっしはげんきー」

 朔は、景気付けのために歌を口ずさんだ。その瞬間、レベッカがはっとこちらを向き、険しい顔を向ける。彼女の顔が青ざめているのは、先ほどのブルーベリーのせいだけではなさそうだった。

 「だめ、サク」

 そう言われて、朔は初めてこの国で現在歌が禁止されていることを思い出した。慌てて左手に繋がっているスズを見ると、「いま、サクが変なことばしゃべった」と、からから笑っていた。

 朔は胸を撫で下ろし、レベッカが、国が、いかに歌(そして楽器)を避けているかを改めて思い知った。彼女のもう一人の妹が、母親と突然姿を消したのは五年前。レベッカは当時、八歳だったはずだ。もし覚えているのであれば、それは相当なトラウマを彼女の中に残しただろう。そうでなくとも、王が常日頃からしつこく言い聞かせているに違いない。

 ロの字型に部屋が並ぶ城の真ん中にある大きな吹き抜けに、螺旋状の階段が付いている。相対的に存在する穴と穴の空間を繋ぐかのごとく。その形は、へたを切り落としてくるくると回すだけで、ドーナツ型に実を取り出してくれるパイナップルスライサーから出てきたばかりのパイナップルを思い出させた。昇り降りを繰り返すだけですっかり贅肉が落ちてしまいそうな長い階段だ、と朔は思う。

 二階は、主に女性たちの部屋であるらしかった。階段を上がってすぐのところにヨーテの部屋、その左にスズ、レベッカと続き、右側にソメイとヨシノの共同部屋がある。見たところ、どの部屋も似たような大きさに見えた。スズはしきりに自分の部屋を見せたがったが、明日掃除をする時に見せてもらうことにし、先に進む。

 「お姉ちゃんの部屋は、本ばかりなの。スズの部屋は、お花の柄がいっぱい! あと、洋服もたくさんあるよ。お姉ちゃんはあまり服を持ってない」

 「そんなにたくさんあっても仕方ないじゃない。冬の間はどのみちコートで隠れちゃうんだから」

 「お姉ちゃんは色が変わるじゃない。スズは何も持っていないから、それが見つかるまではできるだけたくさんの物をもっていたいの。ヨーテの部屋にも、スズの服が置いてあるよ。ねえ、本当にスズの部屋を見に来ない?」

 「先に図書室に行くの? 先にお風呂を見ないの?」

 「お姉ちゃんはわざと階段の遠くに部屋を取ったの。スズのは、階段にも近いし、お姉ちゃんの部屋もヨーテの部屋も隣だからいい部屋なの」
 スズはあらゆることを姉と比べたがり、レベッカはスズを前にすると寡黙になるようだった。決して冷たい態度というわけではなく、必要最低限のことしか話さないように心がけているようにも見えた。それは、月にもらえる少ない小遣いをほんの少しずつ使う、倹約的なサラリーマンのようだった。

 レベッカの部屋の隣には図書室があり、その中には日本語で書かれた本も数冊含まれていた。朔は、地上で住んでいた家の近くにある資産家の図書館を思い出した。いや、まだあれから一日も経っていないのだ、と朔は驚愕する。随分と長い時間が経過したように思えるが、朔はもうかなりここに馴染んでしまった気がした。ここと地上との時間は違った流れ方をしているのだろうか、と浦島太郎のような気分になりながら歩き続ける。

 「ここにあまりたくさんの本はないの。フラスコに行けば、もっとたくさんの本が置いてある図書館があるから。ね、お姉ちゃん。あ、フラスコっていうのはね、」

 そう言いながら、スズはがらがらと大きな音を立てて図書室の戸を閉め、隣の比較的小さな部屋を指す。

 「ここがサクの部屋。昔ママが使っていたけれど、もうママは死んじゃったからサクが使っていいよ」と、無邪気に朔に笑いかけるのだった。

 お風呂はあとで入る時のお楽しみ、ということになり、朔たちは再び一階に降りる。一階にはキッチンのほかに大きな会議室、遊技場、空の倉庫があった。どれもが歴史を感じさせるレンガ造りで、使われていないそれらの部屋はやはりしんと音が聞こえるくらいの静寂に満ちていた。

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第6章(8)「暫定的役割としての王と小さな城」(王四十七歳 朔二十七歳)

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